映画・DVD

2009年8月 9日 (日)

大人は矛盾している

大人は矛盾している。

そう聞くと、大人に対する批判に聞こえるだろうか
それとも、ある事実を述べているように聞こえるだろうか。

私がココで言いたいのは
矛盾しているものを抱え続ける事が出来るのが大人であるということ。
矛盾を抱えきれずに、簡単に決着をつけるのは子供なのだ。
もちろん矛盾していれば皆、大人と言うのは倒錯した結論である。

善悪や環境問題、それ以外にも色々とあるのだけれど
矛盾せざるを得ないのだ。

例えばCO2と地球温暖化。
これらを正しいと信じるのも愚であり
これらを認めないと言うのも愚なのだ。

CO2が増加していて地球温暖化が進んでいる
その可能性は高い。
しかし、あくまで可能性が高いと言うレベルの話。
可能性が高いと言う事は
「全然違ってました。てへ」
って事もあると言う事。
だから信じないし、無視して良いという訳ではない。
可能性が高い以上は対応もしなければならない。
すなわち
1、地球温暖化すると困った事になる。
2、地球は温暖化している。
3、温暖化の原因は主にCO2である。
この3つは現時点で可能性が高い以上無視できないし
対策を採らなくてはいけない。
しかし、同時に3つが間違っているのではないかと思って居なければいけない。
間違っていると思うものを、とりあえず信じて対応する。
この矛盾が大人である。

私流に言うと、これを
「ハイブリッド」と呼ぶ。
地球温暖化防止しなくてはということと
地球温暖化は嘘であるということの
ハイブリッドである。
それは全く中途半端であり、無意味だと言うかもしれない。

ハイブリッド車(電気とガソリン)も
精々ガソリン車の2倍位の燃費だというだけで
べつにエコでもなんでもない低燃費な車だというだけである。
CO2を出さない車じゃないと意味が無い。
そう言う人もいる。
それは正しい。
しかし現実から離れてしまっている。
今出来る事は、脱ガソリンを謳いながら
ガソリンが無ければ走らないハイブリッド車という選択しか現実味が無い。

そうやって抜本的な解決が出来ず
問題を先送りすることでしか
現実的には物事を運転していく事ができない。

あぁ考えながら打っているから最初の意図と外れてしまった。
本当は
地球温暖化は悪い事だ!とか
地球は温暖化している!とか
温暖化はCO2が原因だ!と断言している人は
本当に環境については悩んでいないというつもりだった。
同じく
地球温暖化の何が悪い!とか
地球は温暖化していない!とか
温暖化の原因はCO2ではない!という人もいい加減だと言うつもりだった。

どちらも自然(地球環境)の事を解ったつもりで言っている
解ったつもりでなければ「こうだ」とは言えないはずだ。
だから私にとっては、どっちも同じなんだと言いたかった。

「自然の事はよくわからない」

これが正解である。
自然を舐めんなよ!!
そう言いたかったのだけれども、
なんだかグダグダになってしまった。
あーあぁ

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2009年4月 1日 (水)

鑑識米沢守の事件簿

鑑識米沢守の事件簿を見てきました。
やっぱり「相棒」シリーズは面白いです。
それにしても、こんなに地味な主役は未だかっていたのだろうか。

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2009年2月 8日 (日)

だから愛なんだって

10代のころ「愛」とか「やる気」「情熱」
なんて言う人は大嫌いだった。
戦時中の教育かよ・・・
だったら愛国心と竹ヤリで戦闘機と戦えってんだ。
それが10年経って、現在
全ては「愛だ」って言い出した。
我ながら解らないものである。

なぜか?
それは
仕事でも
趣味でも
友人関係でも
恋愛関係でも
どのような人・物・事との関係でも
続けていくと必ずトラブルや問題が発生する。
トラブルまで行かなくても、より良くしていこうと思えば
悩まされるに違いない。
どうしたら良いか考える。
悩むことと考えることは同じことだ。

だから全てのことは
そんなに割り切れず
善とか悪とか言えず
真とも偽とも言えないから
延々と悩み続ける・考え続ける他にない。
悩むことは苦しいことである。
出来ればやめてしまいたい。
だから、どこかで解ったことにして打ち切りにしたり
そもそも関係を終わらせてしまったりする。

そんな苦しい関係性を維持しようとする
いつも嫌な思いをして
愚痴って
怒って
嫌って
泣いて
喚いて
憎んで
叫んで
時に目をそらして
忘れようとしてみたりもして
逃れようとしたりもする。
それでもやめない
もしくは
やめることができない

それは何ゆえか

愛としか呼べない。

愛するものを
嫌うことも
憎むことも
時に無視することさえも
愛の一面なのだ。

やめる決断をすることさえも
最高に濃い愛だと思うし
やめた後でさえ
いつか、思いを振り切れず戻ってくるかもしれない
そんな可能性がある限り
すなわち
死が人生を強制終了する瞬間まで
愛なんだと思う。

そんな愛に溢れた関係性の中で生まれた作品(物?人?事?)に私は感動する。

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2009年2月 4日 (水)

LOVE is ALL

どんなことも

どんなものも

喜びよりも

圧倒的に苦しみが多い

それと戦うのは

愛が全てだし

愛しか方法も思いつかない。

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2008年12月 4日 (木)

THE OTHERS

「アザーズ」を見ました。
はい、ニコールですね。
どっちが先かは知らないが、常套手段になっていくワザってありますよね。
そんな感じで「あーあれね」な感じ。
でもニコールの演技はやっぱり良い。
ストーリーは途中で大体読めたので、高い評価はできませんが面白かった。

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2008年12月 2日 (火)

転々

オダギリジョー、三浦和義主演の「転々」見ました。
面白かった。
さっぱり意味不明な始まりと、時効警察のときのような小ネタがチラチラ。
段々ストーリーが見えてきて、ほろりとさせるところもあり。
キャラクターが生きていて楽しい。
それにしても映画の感想って何書けば良いのかホントわからん。

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2008年10月28日 (火)

落下の王国

落下の王国を観ました。
映像が美しく、映像作品と言う感じが強いと感じた。
ストーリー自身は、まぁ普通。

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2008年10月21日 (火)

P.S.I LOVE YOU

「PS.I LOVE YOU」を観ました。
色々な人間関係を絡めて、必ずどこかで「グッ」と来させる所があるでしょう。
夫婦愛
恋愛

親子愛
同性の友情
歪んだ友情
異性の友情
仕事関係
引きこもるという社会との関わり方
あぁ、なんて我々はヤヤコシイ世界に生きているのでしょう。

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2008年10月 6日 (月)

ステップフォード・ワイフ

ステップフォード・ワイフを観ました。
なんというか脚本自身は、ありふれてというか・・・
んじゃ何が観たかったのか?ニコールキッドマンですよ。はい。
内容は普通。二コールをはじめ、出演者のキャラクターに救われてる映画ですね。

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2008年10月 3日 (金)

人のセックスを笑うな

人のセックスを笑うなを観ました。
なんでこんなタイトルになったのか、なんだか疑問
なんでこんなにウケているのか、なんだか疑問
結局、松山ケンイチと永作博美が見たかっただけなのか?
疑問多き作品である

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2008年9月23日 (火)

おくりびと

「おくりびと」を観る。
監督、俳優陣(主演の本木はもちろん広末涼子、山崎努など流石だ)はいい仕事をしていたし、良かった。
しかし面白いというほどではなかった、始まってすぐにストーリーが見えてきて、結局そのとうりと言う感じだった。
最初にTBSと言う文字を見た瞬間に「しまった」とは思ったのだが・・・・別にTBSは悪くない。しかしテレビ局の作る映画と言うのは、所詮ドラマの延長でしかなく、作品と呼ぶには一歩足りないと感じる。
まぁ、そんな感じ

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2008年8月18日 (月)

本物

本物と普通とでも言おうか。

「闘うデザイナー」だとか「闘う料理人」だとか「闘う○○」という風に言う人が居るが、私はこれに違和感を覚える。闘っていない人なんて居るんですか?

公務員は全員闘っていない。主婦もなにとも闘っていない、ホームレスも闘っていない。そういう事なのか。

いや僕の言う「闘う」は違うんですよ!と言われても闘い方だって、闘う対象だって人によって違う。だから「闘う」と言う言葉が人と違うなんていうのは、当たり前である。それを限定するなら「施主と闘う建築家」とか限定するべきだ。

生きている人間は全員闘っている。自分と、老いと、社会と、、、、、だから「闘う」なんて言葉を付ける必要は無い。闘うということは本当はもっと静かで、辛く、苦しい葛藤のようなものだ。それを言葉にする=客観化して、さらに他社に共有してもらおうと名乗るなんてありえない。「闘っている自分の理想像」に酔っているだけか、闘っていない自分を恥じて、それを隠蔽するのに必死なのかと勘ぐってしまう。

昨日、ある女性の画家さんとお話をした。よく金沢城でスケッチをしているというので、私は安易にも「それじゃ金沢城の植物展とかそお言うテーマで個展をしたらいいんじゃないですか」と言ってしまった。

それに対する彼女の答えは「NO」。

そうすれば「地元の事を愛しているいい人」だとか「郷土ネタとしてメディアも扱いやすい」だとかメリットは山ほどある。しかし彼女は自分の絵を見てほしいと言う。絵で勝負するのだという。

私は感動してしまった。

最近は「地産地消」だとか「郷土野菜(石川では加賀野菜)」、他にも仲間になるのは「ロハス」「エコ」「食育」など。そういった言葉を武器にして闘うやからが多い。

まるで流行に乗っかり、実力よりもそういった二次的なものが主役なような振る舞い。

画家は絵で勝負する。料理人は味で勝負する。

そういった本来の姿が失われているように思う。もちろんそんなつもりは無くて「絵」プラス○○、「味」プラス○○でしていたのが段々ウエイトの置き場所が歪んでしまい、本末転倒する。だから彼らは自信を持って、疑いも無く自分を本物であると考えている。

だから全員が本物かと言えば、そうではないのは自明であろう。

画家の実力は郷土愛の深さと別に観なくてはいけない。

画家は郷土を描くから取材されるのではなく、絵の良さを取材されるべきである。

「地元野菜を使った○○」とか「本物の○○」とか「闘う○○」とかは、本質的な実力や作ったものの素晴らしさを消し飛ばすくらいに人間としての卑しさが滲み出ている。

ビジネスだから仕方が無い?

仕方ないという言葉は妥協したということであろう。それをもって「闘う○○」と言う無かれ。

ビジネスをするのは良い。儲ける商いも良い。しかし「何が悪い」と堂々と言うほど偉いものでもない。

尊敬できる大人が少ないものだ。

本物/ホンモノとは

偽物/偽者とは

普通/それ以外とは

あなたはどうやって生きていくのか。

私はホンモノだろうか。

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2008年8月17日 (日)

めがねと歩いても魍魎

「歩いても歩いても」「めがね」「魍魎の匣」を観ました。

歩いても歩いてもは個人的に自分ごとと一致する点が多く驚きやらなんやらで、コメントはこれで終り。

めがねは相変わらずのもたいさんの演技が最高。あの空気感は何なんだ・・・。映画を楽しむと同時に、この中身の無さはなんだ。そしてこのマッタリ感はなんだ。こんなものを観て喜ぶなんて皆どんだけ疲れてるんだ・・・・もたい演じるサクラさんのカキ氷はお金ではなく物々交換で食べられる。それはまるで買うという行為、消費せよという資本主義経済に疲れきった、私のあんまり好きじゃない系統のOLさんあたりが喜びそうなシチュエーションじゃないか・・・・めがねという映画に描かれている事が、私にはあまりに自然で普通なので、そんなものを観ようと言う現代の病みっぷり、もしくは闇っぷりにヒキマスわ。

魍魎の匣はなんつーか期待の方が内容より大きかったねってなもんだ。

というわけでサボって溜まった分を吐き出すように一気に3連発でした。それにしてもエロバックの記事が古いにもかかわらず人気だ。やっぱりエロはすごいなぁ。赤裸裸セックスライフとかの方がみんな知りたいのかなぁ。

知るよりもするもんだと思うけど・・・・「しっている」から「している」へ。エコとエロはそっくりだ。

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2008年8月 4日 (月)

インベージョン

「THE INVASION(インベージョン)」を見ました。

大好きなニコールキッドマンに魅かれて観ただけなのですが恐ろしくビンゴでした!

凄くよかったので、ひっかかった所だけ。

人類を絶滅させるのは核ではなく、微生物ではないか。パンデミックという言葉も認知されてきたように思う。これが私だけではなく、世界中の人の今最も恐ろしいものになったのだろう。いつどこで、どのように起こるのか解らない恐怖。

「誰でも恐ろしい犯罪を起こす。犯罪や戦争のない世界を想像してみて欲しい。それは人間が人間でなくなった世界だ」劇中の言葉だが重い。平和は私たちの求める最優先事項ではない事を上手く表現している。

スパイや狂人など、私たちに危害を加えるであろう人物は、見た目は普通の人である。

地球に居る微生物の総重量は、他の全生命の総重量より重い。微生物は地球上に最も支配的な生命種。

感染者は一つになる。個でありながら、一つであり、家族である。それは植物的な生き方であり、映画を観た人からすると恐怖を感じるかもしれないが、その哲学と生き方をしている生命は身近に居る。そのとき個は全のために死ぬことくらい、些細な、あまりにも些細な出来事である。それは利己的な人からすると恐ろしい。

「恐怖」それはメディアの性質でもあり、ありもしない病気や災害、問題を生むことも在り、迫害や差別も生む。しかし、それによって多くの災いを防ぐ面も在る。

宇宙からやってくる侵略者。愛する人や自分が変わってしまう。しかし、元々人間は変わっていくものだ、その変化だって受け容れる事は問題ないのではないか?実害が無いのではないかとさえ言える変化なら、我々は何を拒絶しているのか。

メイキングなども全部観る事をお勧めする。本当に「今」観ておくべき映画のひとつだ。

最後に仕事をする人間(ほとんど全員そうか)へ送るかのようなニコールキッドマンの言葉で締めくくりたい。

仕事を請けるかどうか決める要素に、監督やスタッフがある。触発される人たちとの仕事だと毎日が楽しい。

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2008年7月24日 (木)

L change the World

「Lチェンジザワールド」を観ました。

全体としてはやはりデスノート本編のほうがずっと作りこまれててい、そのキャラクターであるとか、世界設定を使っているからブレイクしているのであり、そういったものが無ければ大ヒットはしなかっただろう。テレビ局あたりが関わっている邦画ではよくある、つまらないという事も無く、褒めるところも別段ないというのが本音。

Lのセリフで天才一人でもできないことがあり、協力者がいてはじめてできる、というような言葉があった。それに関しては、全くそのとおりで、世界を変えるほどの発明。例えば車、例えばコンピュータは特許をとったとか、発売したとか、そおいう事に関しては最初の人物がいるのだけれども「発明した人・作った人」「考案した人」というのは居ない。

居ないのも関わらず、凄いものが出来て、社会を変えている。

これらは多くの人が関わり、いつの間にかこんな形になったというものである。

実は天才のできる事にも限界が在るのだと。

だとすれば我々凡人が力を合わせる事は天才をしのぐ事もあるのではないかという勇気となる。

しかし天才とまで言わなくとも、賢い人が沢山集まって出来ているのがコンピュータだとすると・・・

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2008年7月23日 (水)

バタフライ・エフェクト2

先日大絶賛しましたバタフライ・エフェクトの続編です。

前作と過去へのアクセスの方法、過去における空白の設定などが綿密に組まれていて、ストーリーが非常に練り込まれているのがよく解った。

2に関しては上記の事があまりに手抜き過ぎる。

過去の空白もなく、単に時間軸を遡るわ、そもそも過去へのアクセス方法も写真を見るだけ・・・前作の「日記」という主観の世界観のもつ幅の広さに比べて表面的である。

「2」を観るというのは、かなりのギャンブルなものである。そのイメージに引っ張られて「1」さえも駄作なように記憶が書き換えられてしまうからだ。

しかし同等以上のクオリティであった場合の喜びは大きい。

今回は、、、、残念であった。

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2008年7月22日 (火)

暗いところで待ち合わせ

「暗いところで待ち合わせ」を観ました。

ストーリ全体は、段々年を取るごとに涙もろく、共感してしまうようになってしまうので良いのですが、けっこう色んなところが、ありえないなぁと言う感じです。

特に盲目の人は五感の一つ、しかも5つのうちで最も情報量の多い視覚を失った分、それを補おうとする、他の鋭さは常人とは違います。

そういった世界の見方、環境が違うのを無視したかのような作品でした。

とはいえ、それを言い出すとストーリーが成り立たないので、仕方ない。

というわけで、あんまり穿った見方さえしなければOK。

そーいえば久しぶりに岸部一徳が、普通に良い人の役をしてるのを観たわ。

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2008年7月19日 (土)

バタフライ・エフェクト

「バタフライ・エフェクト」を観ました。個人的にはすごく好きな設定&ストーリーで、バックトゥザフューチャークラスですね。

主人公は記憶の障害を持つ。それは人生の余白として残されており、ずっと未来から、その余白を書き換える事で、未来が大きく変化してしまう。例えそれが些細な事でも。

それを小さい出来事が、めぐりめぐって世界を支配するほどの影響持つ、カオス理論だとかで有名なバタフライエフェクトと呼んだのだろうが、適切なタイトルかと聞かれると疑問。

色々な人生の末路というものがあり、それを主人公はシャッフルするように変更していくのだけれども、バックトゥザフューチャーなど時間を越えたり、未来を変えるような話に共通する問題がある。

それは現代物理学でも一応認められている「異次元」「パラレルワールド」の扱いである。もちろん映画としてのストーリーが面白ければ、どちらでも良いのではああるが、いくつにも分岐する世界はのどこに流れが向かうのかというだけで、実はパラレルワールド同士に世界はいくつもいくつも常に分岐して、それを継続的に進めているのではないか。そしてそれぞれの世界は分岐後は影響を及ぼしあう事も、連絡を取る事も、当然存在をお互い知る事も出来ないために今のような社会になっているのではないか。という考えがある。

未来を変える事で、別のパラレルワールドへスライドする。この事はバックトゥザフューチャーでドクも少し話をしている。変わってしまった未来から、さらに未来へ向かっても駄目で、変化の起きた過去へ戻らなくてはならないと。

と言う事は分岐した世界は、そのまま分岐した世界として存在し続けるという事だ。少なくとも主人公が確認している以上、存在の否定は難しく、さらに色々なパラドックスを生じさせる。

例えば過去へ戻って、自分を生む前の両親のどちらかを殺す。と自分が生まれなくて、殺人者たる自分も消えるから死なない。死ななければ殺人者たる自分も生まれるので死ぬ。というような事である。

しかし、そおいうパラレルワールドへ分岐しただけならば、それはそのまま進むかもしれない。だとすると、そこに何をしようと、しなかった未来もパラレルワールドには存在し、してもしなくても、両方が常に実行されていくような事になった場合、映画などで見られる未来を変えてハッピーエンドは、その前に必ずある数パターンの悪い未来は同時平行的に存在している。

ストーリー上の主人公だけが、何度かスライドを続けてハッピーエンドへたどり着き「めでたしめでたし」となるのだけれど、悪い未来に取り残された、もう一人の自分はどうなるのだろうか。結局不幸になっているのである。

パラレルワールドに不幸になった自分を置き去りにしても、自分の幸福を追求するということか。だとすれば人の業は深過ぎる・・・・

ここから感じる事は見えなければ、遠いところであれば、親しい人であろうと、自分自身であろうと、どれほど不幸でも構わないという事だ。見えないは存在しないと同じ意味ではない。しかし、ほとんどの場合、我々は同じ意味で認識し、生きているように思う。

選択肢を選んで遊ぶストーリー型のゲームだと解りやすいかもしれない。主人公があっさりハッピーエンドではゲームはつまらない。必ず何度かバッドエンドを迎えて、そのバッドエンドへと導く選択肢をゲーマーは覚えて・避けて最終的にクリア=ハッピーエンドを迎える。その時に何人の主人公がバッドエンドへ送り込まれたか。

今日は、とても長くなってしまったが、色々と考えさせられる。

1つの幸福が無限とも思える不幸の上に建っているとして、その1つの幸福を手にしようとしているのだという事。そして見えなくなった不幸の存在は「無い」としてしまうこと。もう一人の自分から奪い取ったハッピーエンドだという事。パラレルも含んだ相対では何も変わらず、只入れ替わっただけであるということ。

なんてエゴイスティックな

なんて無意味な

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2008年7月18日 (金)

ついに見ました

避けていたのですが、ついに観ました。

はい「不都合な真実」です。

正直な感想としては結論先にありきのデータで固められた、まるで終末を騒ぎ、恐怖を武器に迫りくる新興宗教を髣髴とさせるものでした。

膨大な資金と時間を使っているので、同じだけの予算を組まなければ、一つ一つ反論するのは難しいです。まぁ彼らの言う科学的根拠というものが科学的根拠かどうか、それがなんとも手薄であり、更に言えば「これは科学的根拠に基づく専門家のシミュレーション映像です」なんて事を、多い時には3回も4回も言うのです。

科学的説得力と、合間合間に入るゴア氏自信のストーリー。感情にも訴えかける。それも危険団体のよくやる手法である。

解決はいみじくもゴア氏が言うように、想像と現実を間違わないで、正しく見ることである。

それにしても環境と言う誰も逆らえないファシズム。それを味方につけたゴア氏の政敵への全面攻撃だとしか思えない。

少なくともこの映画を観たら、誰に投票するのか。

この映画を見た人をマインドコントロールしたとして、誰がどんな得をするのか。

私も環境ファシストになるか、環境教に入信してビジネス戦略を進めるほうが自分にとっては得である。

金を取って、さらに世間で尊敬される道を選ぶのか、それとも自分の正義に従い行動して、世間から奇人扱いをうけるか、どちらかを選べというのは・・・脅迫ではないのか。

今日の人類に正義はない

PS:問題意識が私も一致するのは水資源の問題だけである。間違わないで欲しい、私はやみくもに全否定したりは決してしない。

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2008年7月16日 (水)

かもめ食堂

なんとなく面白い映画でした。

夢見がちな女の子が経営を無視して憧れそうな、、、そんな素敵さを持っていました。

生きているという事は変わっていくということ。それを受け容れているような彼女たちの姿勢は共感できるものでした。

どんな幸せも過去になり、どんな苦しみも過去となる。

今は幸せでも、苦しい時がもうすぐやってくる。その先にはまた幸せが待っている。

まさに生きる苦しみであり、生きる希望である。

暗い所は見えにくく、明るい所はよく見える。未来を見ることが出来るとすれば、それは常に明るく見えるはずなんだ。

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2008年7月15日 (火)

刑務所の中

「刑務所の中」(崔洋一監督)を見ました。

刑務所の中と言う、普通目を付けないような設定からして面白い。

塀の中は私たちの常識とは全く違うルールで運営されている。まさに環境の違いである。

その世界ではスーパーで安く買えるお菓子でさえご馳走である。

そしてそれを大人が「いいなぁ、いいなぁ」と言いながら喜んで食べるのだ。

価値観や常識が、簡単に環境によって変わってしまうという良い例でもある。

それにしてもこの映画、刑務所の生活が本当に楽しそうである。

いいの?

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2008年6月13日 (金)

蟲師

蟲師を観ました。

世界観はおもしろいのだけれども、映画としてはよくわからん。

ただ、映像・衣装はきれいにまとめている。なんだか最近の邦画は作り手側の盛り上がりしか感じない。それは私の問題なのだろうか、どういう風にそれを解釈したらいいのか、蟲師に診てもらいたい。

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2008年6月12日 (木)

さくらん

「さくらん」を観ました。

個人的に見所は菅野美穂やら美人さんたちの背中、、、、と正直に言うしかないかも。

女性監督で映画=アートだと女性は脱ぎやすいんだろうな。

ストーリーは平凡。初めて観た気がしないレベル。

音楽は私も大ファンである椎名林檎。だけどピン!とこないというか・・・まぁJ-POPの人間をアーティストと読んでいいのかは、大いに謎なのではあるが、表現者として椎名林檎は素晴らしい。しかし表現者は自分の表現として、自分の訴えたいことというか、湧き出るものを表現して良い作品を作れる。そうおもうと一部のアートの業界人が問題視しているコミッションワーク(依頼された仕事)のようなものは、どうなのか。というあたりがイマイチ感を出したのかもしれない。

花は現代お花屋さん界のトップスター、東信。「斬新」「驚き」の花があふれる。しかしそれは美しいとは、また別物。花を生けるというのはどお言うことか。花を飾るとはどう違うのか考えてしまいます(悪いと言っている訳ではないですよ)。

花にも通じるのだけれども蜷川監督の全体の色彩感覚。あれを観て女性は綺麗と言ってしまうんだろうか。強烈な色の感覚はまるで歌舞伎町・・・でも吉原遊郭だから、それでいいのか。歌舞伎町だから椎名林檎なのか?と繋げ始めると、そおいう世界らしさは出ていたね。

映画(アートなんでも)は観終わった時に残るものが大切だと思う。

本作品は見終わったときに心には何も残らず、ただ派手さに疲れるような感じだった。ってちょっと酷評すぎますかね・・・だって、あのキャスティングでこのレベルなんですよ・・・邦画には頑張って欲しいのです。

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2008年5月26日 (月)

マンダレイ

ラース・フォン・トリアー監督のマンダレイです。

ドッグヴィルの続編で3部作のはずが、3つ目のワシントンがいつになるかわからないというやつです。

テーマがアメリカ・人種(黒人)問題・奴隷と言ったところなので、なかなか日本人には理解しにくい話です。

しかし奴隷として縛られていたのが、開放されて、自由=自分で決めなくてはいけない=失敗も自分の責任。そんな世界の苦しさにたいして劇中のキーアイテム「ママの法律」は皆に役割を与えることでうまくやっていく方法だ。

今日は西田幾多郎記念哲学館の市民講座を聞いてきたのだが、そこで語られていた、自己同一性の問題、世界を認識する自己がシナリオを書き、その自己が自分の社会的立ち位置を作り、演じるという事と自然とリンクしてきた。

「生きるのに必要なもの」や「自由」というのは難しい。劇中の黒人のように、それについては深く考えないほうが安全で、楽しい生活が送れる。あなたはどうか

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2008年5月24日 (土)

ブラックブラック

ドイツ戦争(テロ)シリーズという訳でもないのですがレンタルビデオ店で同じコーナーに合ったので取ったのでしょう、「ミュンヘン」「アドルフの画集」と今日の「ブラックブラック」です。

中ではブラックブラックが一番良かったように思います。

戦争中の善と悪の反転。それは複数の意味をもち平和時の善を戦争時になそうとすれば、それは悪であり、平和時の悪は戦争時に善になったりする。それが戦争前後でどう変化するのか。悪だったものは心は悪のままでも、表面的な善になり英雄になり、善を貫こうとしたものは返って悪に処されたり・・・

善や悪がどれほど薄っぺらく、人々のいう善悪こそが悪といいたくなるような心押しつぶされる展開。しかもヒロインはどうなってしまうのかという緊張感が続くのですが・・・

このまま終わらせてしまうと「人間=悪」というような感じを受けるとか、重苦しくなってしまうと感じたのでしょう。悪は逃げ延びるまえに殺され、そこで不必要なカタルシスを覚えさせ、ヒロインもなんとなく平和で幸福で、善意の人としてエンディングを迎えます。人間の存在に対して、世界は多くの人を苦しめる加害者集団であり被害者集団。それは戦争前後に強く発揮される。そんな、しっかりと受け止め欲しい事実が、カタルシスとハッピーエンドでボケてしまう。

いうなれば素晴らしい名画を描いて、最後の仕上げに上から白のペンキで塗りつぶしたようなもったいない作品です。ヒロインは誤解されたまま死んで欲しかった。

きっとその方がリアルだ

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2008年5月23日 (金)

アドルフの画集

アドルフ・ヒトラーが画家になるのか政治家になるのかという岐路に立っているときの映画です。結局、政治は全てを包括もしくは統合したアートなのだという所へむかいます。

その考え自体は否定しがたいものであるし、政治=国家を縮小して考えてみれば、時には国家をもしのいだり、その中では法律より優先されるルールがあったりする企業という存在では経営という(国家も経営と言うか)事は最大のアートなのだろう。

だからこそ経営者は尊敬されるのである。

昨今は経済・財務という尺度でしか測れない経営者(これは広義の意味で優先順位の一番が経済である経営者は全て含んでもいい)が偉そうにするから、嫌悪感をもたれるのだ。金儲け自身には何の問題もないし、当然恥ずかしいことではない。

しかし、それは沢山ある要素の、たったひとつという見方が出来ているかと言うことだ。

あ、映画の評価を忘れていました。ま、今更書かなきゃというほどの内容もありませんでしたけど

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2008年5月22日 (木)

すぴるばーぐ

「ミュンヘン」を観ました。

ストーリーはわりと陳腐。なんていうか、公開当時を考えると「テロ」「戦争トラウマ」みたいなものは「9.11」「イラク戦争後」というのがあって、それをミュンヘン殺戮事件と重ねて表現したかったのかな。国家が暗殺のために暗躍するってのに、こんな単純なストーリー?とさえ思ったけれども、殺す行為と言うのは実は存外単純なことなのかもしれない。

ゴキブリを「バチン」とやるか「シュー」とやるか「ホイホイ」しかけるかの違いでしかなく、そこに一々感動が無いように。個人的には落第作です。

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2008年5月11日 (日)

はずし

ホステルとカルメンを見ましたが・・・どっちもまぁ。早送りしました。

それから西田幾多郎哲学館で哲学カフェに参加。

主張したい人の勢いがありすぎて制御難しいなぁと。

やはり議論には「信頼」が前提にないと深まりにくいなぁ

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2008年5月 8日 (木)

半落ち

半落ちを見ました。

ネタバレですが、アルツハイマーになることで息子を失う苦しみを何度も味あわなくてはいけないという状況は、確定死刑囚は毎朝死ぬというのと重なり、生涯において一度も無いことが望まれることが、何度もあるというのは凄まじいことだと思う。

死を見つめることが出来なければ、生は薄まるのかもしれないが、誰かが言うように「太陽と死は直視できない」もしかり。アルツハイマーは自我の死だとすれば、自我を自分だと思っている私たち。医療技術の発達による脳死。

私たちの死は、私達が大好きな「多様性」を持ってしまったということか

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2008年5月 7日 (水)

黄金週間終了

ゴールデンウイークが終り、明日からは五月病の方も増えるだろう。

GWは色々と精神的に思い悩むところありましたのであんまり考えないようにDVD観賞で終わりました。

最終的に「善き人へのソナタ」「ドッグヴィル」に続き

「ダーウィンの悪夢」「シャイニング」「植物の世界~旅する植物~」「ヴァン・ヘルシング」「記憶の棘」を観ました。部屋を暗くしてプロジェクターで見ているので目が悪くなりそうですね。

一気に一言感想だけ書いて今日は終り。

「ダーウィンの悪夢」悪夢と言うほどの悪夢が書かれていなかった様に思うし、ダーウィニズムに関してはほとんど出ないので、タイトルが不適切かなぁ。

「シャイニング」最後まですっきりした謎解きが無いので、もうちょっと。全体的に面白かったのでそこだけ

「植物の世界~旅する植物~」バードゲージプランツの移動する速さと姿に驚いた。

「ヴァン・ヘルシング」終わり方も綺麗でマズマズくらい?

「記憶の棘」人の自我なんて・・・と言い始めると一言感想に収まらないので、全体としては面白いのだけれど終りがスッキリしない。後味じゃなくてね。

以上、ものすごいあっさりとした感想なので、参考にもならないね。

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2008年5月 5日 (月)

DOGVLLE/ドッグヴィル

DOGVILLE」見ました。結構時代の流れとかは無視で、レンタルが旧作になるまで待てる男です、わたし。

素晴らしい映画です。これだけの作品を作る人が居るというのは、感動という言葉しか今は思いつかないなぁ。

「記号の街という異様さ」

「居なくなるのは主人公か、街の人々か、街そのものか」

「人の弱さが負の側面なのか、人の向上心(=欲求)は悪なのか」

そして見ながらも、これほど多くの視点を持って観る事の出来るストーリーは少ないし、結論の着地点といい、あぁ人間だと、それが感想です。

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2008年5月 3日 (土)

善き人のためのソナタ

ラストの一言のために作られたのではないかという世界だった。
そのワンフレーズを除いて印象的だったのは「芸術家は交渉などしないもの」というセリフ。
社会主義の世界と戦いながらの言葉の重みは、資本主義にあっさり迎合している芸術家がなにかと命もかけずに安全に戦って言う現代の言葉とは真逆でありながら、同じフレーズに落ち込むというのが鮮明に記憶される。
出会いながら、出会わずに「善い」ことをする男たち。
「善い」ことをしようとして迷惑な(いつも言っている)「善意の悪事」との真逆さに美しさを感じる。
社会主義と資本主義。その中で翻弄される生き方、男と女、価値観。悲劇を土台に咲く美しいストーリー。狭いエリアで完結した世界は、しかし広い。

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