環境

2008年8月18日 (月)

本物

本物と普通とでも言おうか。

「闘うデザイナー」だとか「闘う料理人」だとか「闘う○○」という風に言う人が居るが、私はこれに違和感を覚える。闘っていない人なんて居るんですか?

公務員は全員闘っていない。主婦もなにとも闘っていない、ホームレスも闘っていない。そういう事なのか。

いや僕の言う「闘う」は違うんですよ!と言われても闘い方だって、闘う対象だって人によって違う。だから「闘う」と言う言葉が人と違うなんていうのは、当たり前である。それを限定するなら「施主と闘う建築家」とか限定するべきだ。

生きている人間は全員闘っている。自分と、老いと、社会と、、、、、だから「闘う」なんて言葉を付ける必要は無い。闘うということは本当はもっと静かで、辛く、苦しい葛藤のようなものだ。それを言葉にする=客観化して、さらに他社に共有してもらおうと名乗るなんてありえない。「闘っている自分の理想像」に酔っているだけか、闘っていない自分を恥じて、それを隠蔽するのに必死なのかと勘ぐってしまう。

昨日、ある女性の画家さんとお話をした。よく金沢城でスケッチをしているというので、私は安易にも「それじゃ金沢城の植物展とかそお言うテーマで個展をしたらいいんじゃないですか」と言ってしまった。

それに対する彼女の答えは「NO」。

そうすれば「地元の事を愛しているいい人」だとか「郷土ネタとしてメディアも扱いやすい」だとかメリットは山ほどある。しかし彼女は自分の絵を見てほしいと言う。絵で勝負するのだという。

私は感動してしまった。

最近は「地産地消」だとか「郷土野菜(石川では加賀野菜)」、他にも仲間になるのは「ロハス」「エコ」「食育」など。そういった言葉を武器にして闘うやからが多い。

まるで流行に乗っかり、実力よりもそういった二次的なものが主役なような振る舞い。

画家は絵で勝負する。料理人は味で勝負する。

そういった本来の姿が失われているように思う。もちろんそんなつもりは無くて「絵」プラス○○、「味」プラス○○でしていたのが段々ウエイトの置き場所が歪んでしまい、本末転倒する。だから彼らは自信を持って、疑いも無く自分を本物であると考えている。

だから全員が本物かと言えば、そうではないのは自明であろう。

画家の実力は郷土愛の深さと別に観なくてはいけない。

画家は郷土を描くから取材されるのではなく、絵の良さを取材されるべきである。

「地元野菜を使った○○」とか「本物の○○」とか「闘う○○」とかは、本質的な実力や作ったものの素晴らしさを消し飛ばすくらいに人間としての卑しさが滲み出ている。

ビジネスだから仕方が無い?

仕方ないという言葉は妥協したということであろう。それをもって「闘う○○」と言う無かれ。

ビジネスをするのは良い。儲ける商いも良い。しかし「何が悪い」と堂々と言うほど偉いものでもない。

尊敬できる大人が少ないものだ。

本物/ホンモノとは

偽物/偽者とは

普通/それ以外とは

あなたはどうやって生きていくのか。

私はホンモノだろうか。

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2008年8月 1日 (金)

エコ買え♪

当ブログはNO MORE ECOである。

一億総エコ原理主義となり、逆らうものには厳しい風が吹き、入信すると入信者がそこから買ってくれると言う。恐ろしい宗教のようだ。

だからエコの話は、もううんざりで避けていたのだが、ネットを中心にある企業の「エコ替え」とというキャンペーンに対して、まだ使えるものも買い換えろというのかと「エコ替え」=「エコ買え」だと、批判の声を上げているらしい。

少しは希望がでる。

何度も書いていることだが何度でも書かせてください(笑)

環境や健康のように要素が多く把握が難しいものは「良い」なんて事は言ってはいけない。「悪くない」とか「付加が低い」と言う程度に抑えるべきである。

環境に良いことは出来ないのだと知るべきだ。

環境に良いことしよう、というのは本当は間違いだ。

「環境に良い」というフレーズが出たら、それは疑うべき警告だ。

公開中の映画ゲゲゲの鬼太郎では無いが、肌がゾワゾワっとなり、毛がピピッ!と立つ。妖怪アンテナならぬ、エコ原理主義アンテナが立つ。

いや、、、エコ原理主義の裏に潜む悪い妖怪に反応してるのだと思えば、これも妖怪アンテナか。

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2008年7月21日 (月)

GMAILからの提案

GMAILをお使いの方は解ると思うのだが、メール機能の上の端に広告やニュースが掲示される。それはビジネス上のものなので理解できるのだが、先日新しい表示を見た。

「○○ニュース」や「広告」といったカテゴリーに新しく「リサイクルのヒント」というものが加わっていたのだ。googleのGMAILでの環境保護の取り組みなのだろうか。誰も得をし無さそうだし・・・・

まぁ、その程度の事はどうでもいいのだけれども、その提案の無いように驚いたのだ。

「フィルムの容器は、くぎ、ねじ、ボタン、ピンなどの入れ物として再利用できる。」

え!?今更フィルムですか!?最近見ないですよ。いまどきの子供はデジカメしか知らないからフィルムって何のフィルム?と混乱しますよ?

しかもこの提案がデジタル社会の牽引役であるgoogleからなされているのに衝撃を覚える。しかも再利用の内容がまた・・・・まんまじゃん。

そんなこんなで、一体これはネタなのか、狙いなのか、真剣なのか、それとも・・・難しいものである。

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2008年7月19日 (土)

バタフライ・エフェクト

「バタフライ・エフェクト」を観ました。個人的にはすごく好きな設定&ストーリーで、バックトゥザフューチャークラスですね。

主人公は記憶の障害を持つ。それは人生の余白として残されており、ずっと未来から、その余白を書き換える事で、未来が大きく変化してしまう。例えそれが些細な事でも。

それを小さい出来事が、めぐりめぐって世界を支配するほどの影響持つ、カオス理論だとかで有名なバタフライエフェクトと呼んだのだろうが、適切なタイトルかと聞かれると疑問。

色々な人生の末路というものがあり、それを主人公はシャッフルするように変更していくのだけれども、バックトゥザフューチャーなど時間を越えたり、未来を変えるような話に共通する問題がある。

それは現代物理学でも一応認められている「異次元」「パラレルワールド」の扱いである。もちろん映画としてのストーリーが面白ければ、どちらでも良いのではああるが、いくつにも分岐する世界はのどこに流れが向かうのかというだけで、実はパラレルワールド同士に世界はいくつもいくつも常に分岐して、それを継続的に進めているのではないか。そしてそれぞれの世界は分岐後は影響を及ぼしあう事も、連絡を取る事も、当然存在をお互い知る事も出来ないために今のような社会になっているのではないか。という考えがある。

未来を変える事で、別のパラレルワールドへスライドする。この事はバックトゥザフューチャーでドクも少し話をしている。変わってしまった未来から、さらに未来へ向かっても駄目で、変化の起きた過去へ戻らなくてはならないと。

と言う事は分岐した世界は、そのまま分岐した世界として存在し続けるという事だ。少なくとも主人公が確認している以上、存在の否定は難しく、さらに色々なパラドックスを生じさせる。

例えば過去へ戻って、自分を生む前の両親のどちらかを殺す。と自分が生まれなくて、殺人者たる自分も消えるから死なない。死ななければ殺人者たる自分も生まれるので死ぬ。というような事である。

しかし、そおいうパラレルワールドへ分岐しただけならば、それはそのまま進むかもしれない。だとすると、そこに何をしようと、しなかった未来もパラレルワールドには存在し、してもしなくても、両方が常に実行されていくような事になった場合、映画などで見られる未来を変えてハッピーエンドは、その前に必ずある数パターンの悪い未来は同時平行的に存在している。

ストーリー上の主人公だけが、何度かスライドを続けてハッピーエンドへたどり着き「めでたしめでたし」となるのだけれど、悪い未来に取り残された、もう一人の自分はどうなるのだろうか。結局不幸になっているのである。

パラレルワールドに不幸になった自分を置き去りにしても、自分の幸福を追求するということか。だとすれば人の業は深過ぎる・・・・

ここから感じる事は見えなければ、遠いところであれば、親しい人であろうと、自分自身であろうと、どれほど不幸でも構わないという事だ。見えないは存在しないと同じ意味ではない。しかし、ほとんどの場合、我々は同じ意味で認識し、生きているように思う。

選択肢を選んで遊ぶストーリー型のゲームだと解りやすいかもしれない。主人公があっさりハッピーエンドではゲームはつまらない。必ず何度かバッドエンドを迎えて、そのバッドエンドへと導く選択肢をゲーマーは覚えて・避けて最終的にクリア=ハッピーエンドを迎える。その時に何人の主人公がバッドエンドへ送り込まれたか。

今日は、とても長くなってしまったが、色々と考えさせられる。

1つの幸福が無限とも思える不幸の上に建っているとして、その1つの幸福を手にしようとしているのだという事。そして見えなくなった不幸の存在は「無い」としてしまうこと。もう一人の自分から奪い取ったハッピーエンドだという事。パラレルも含んだ相対では何も変わらず、只入れ替わっただけであるということ。

なんてエゴイスティックな

なんて無意味な

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2008年7月18日 (金)

ついに見ました

避けていたのですが、ついに観ました。

はい「不都合な真実」です。

正直な感想としては結論先にありきのデータで固められた、まるで終末を騒ぎ、恐怖を武器に迫りくる新興宗教を髣髴とさせるものでした。

膨大な資金と時間を使っているので、同じだけの予算を組まなければ、一つ一つ反論するのは難しいです。まぁ彼らの言う科学的根拠というものが科学的根拠かどうか、それがなんとも手薄であり、更に言えば「これは科学的根拠に基づく専門家のシミュレーション映像です」なんて事を、多い時には3回も4回も言うのです。

科学的説得力と、合間合間に入るゴア氏自信のストーリー。感情にも訴えかける。それも危険団体のよくやる手法である。

解決はいみじくもゴア氏が言うように、想像と現実を間違わないで、正しく見ることである。

それにしても環境と言う誰も逆らえないファシズム。それを味方につけたゴア氏の政敵への全面攻撃だとしか思えない。

少なくともこの映画を観たら、誰に投票するのか。

この映画を見た人をマインドコントロールしたとして、誰がどんな得をするのか。

私も環境ファシストになるか、環境教に入信してビジネス戦略を進めるほうが自分にとっては得である。

金を取って、さらに世間で尊敬される道を選ぶのか、それとも自分の正義に従い行動して、世間から奇人扱いをうけるか、どちらかを選べというのは・・・脅迫ではないのか。

今日の人類に正義はない

PS:問題意識が私も一致するのは水資源の問題だけである。間違わないで欲しい、私はやみくもに全否定したりは決してしない。

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2008年7月17日 (木)

それに感謝とは

知人と話をしていて、あぁ、そうだなと思わされた。

色々と嫌な事が重なり、仕事柄、家に立てこもっても出来るので、半分引きこもっていたんだと話をしていたら。

「引きこもれるというのは幸せな事だ、引きこもりが許される環境にもっと感謝しなくてはいけない。引きこもりたくても引きこもれずに、無理やり笑顔を作っている人も居る」

そうだなぁと思った。みんなそうだよなって。その人は接客業なので、下がっているわけには行かない。引きこもらなくてはなら無いほど傷ついていた、私に対してはきつすぎるとも思える言葉ではある。

しかし、痛々しい姿で動き回っている人はいっぱい居るのだろう。

引きこもれる人は、そおいう避難も良いのではないかと思っている。

人間は与えられた環境をフルに使う。フルに使うというのは、非常に効率的・合理的だ。

しかし、それゆえに環境は使い古された、壊れかけてきた。人類と言うのは、それを「良い事」だとしてきたのだ。

だとしたら引きこもると言うのも、その引きこもる事のできる現状、支えてくれている諸々、すなわち引きこもれる環境をフルに使っているのだ。

これはありとあらゆる立場の人に「環境」を考えるヒントとなる話だと思う。

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2008年7月15日 (火)

刑務所の中

「刑務所の中」(崔洋一監督)を見ました。

刑務所の中と言う、普通目を付けないような設定からして面白い。

塀の中は私たちの常識とは全く違うルールで運営されている。まさに環境の違いである。

その世界ではスーパーで安く買えるお菓子でさえご馳走である。

そしてそれを大人が「いいなぁ、いいなぁ」と言いながら喜んで食べるのだ。

価値観や常識が、簡単に環境によって変わってしまうという良い例でもある。

それにしてもこの映画、刑務所の生活が本当に楽しそうである。

いいの?

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2008年6月24日 (火)

沈黙の後は

今日もまた「爆笑問題のニッポンの教養」から。

「環境が良いとかいうのは、人間にとって豊かかどうか。」やっぱりそれでしか評価できないなと、改めて感じる。

農民は国土のガーディナー。というような言葉があったと思うのだが、はっきり思い出せない。自然は手入れをしなくては、人間に有益なものにならない。

地球上の隅々まで開発するべきだとさえ思う。開発の意味は随分違うが。

収穫間近の桃が数千個盗まれたというニュースをしていた。もうすぐ食料の不足が起こる。いや、既に安全、美味しい食は高級化が始まった。

農家・農業にとっては総合的には良い事なのかもしれない。しかし、金になると知ればニュースのように盗んだり、偽装したり(これも最近は多すぎて例をあげるのも難しい)と悪事を働く者が増える。

逆に子供が登下校中にイチジクやグミ、柿を盗み食いするのは最近は皆無だと聞いた。

もしかすると子供の柿泥棒が復活するかもしれない。

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2008年6月11日 (水)

ラメットとジェネット

ラメットジェネット。どっちがどっちだっけ?とよく混同してしまう。

植物は群で生きている。その群と思っているものが一つなのだ。例えば一山全部が一つの植物固体という場合もある。竹林などは多くの場合、林全部で一個の固体だ。文句なしに世界最大の生き物は植物だろう。

しかし竹の一本一本も一個体と見ることも出来る。それの区別として、一本一本に見える一個体をラメット。その群(切り離されていたとしても)全体をジェネットと呼ぶ。この生き方は植物だけが取っている戦略である。

大いに参考にできる戦略なので本などで知ってみることをお勧めします。

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2008年6月 9日 (月)

環境浄化

家に帰ってテレビを付けたら、水俣の海が再生しているという話をしていた。

水俣の海に住む細菌が水銀に対しての耐性を持ち、水銀を分解し、水銀が減って海が浄化されたところで、細菌は耐性を段々と失い、もとの海に戻る。と言うことだった。

細菌は環境浄化のヒーローでは無い。恐るべき速さで耐性を作り対応する。それは人と病気の戦いで苦戦している要因では無いか。

これまでは地球は人類に対して資源を沢山与えてくれた、しかし水銀のように、ある種のバランスを壊すほどのところに来た場合、それを元に戻す動きが必ずある。

地球温暖化はあまり大きな問題ではない。これから人類は減る方向で自然は動くはずだ。それは寒冷化・食糧難かもしれないし、病気かもしれない。

どちらにせよバランスを考えれば、今後の地球は人類に厳しくなるだろう。水銀さえ浄化してしまう生態系システムの恐るべき力は、エコだと笑顔でいられない恐怖を与える。

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2008年6月 6日 (金)

エコファイターってなんだよ

世界のエコファイター 地球を救う100の知恵 驚き!超テレビ大図鑑スペシャル」という番組をしていた。無理やりエコと繋げた事柄や、動物のお話をみてアイドルが泣く画を撮るというエコとの関係はどこにあったんだっけ?というような番組の多い中、それに関してはもうどうでもいいです(茂木健一郎が出ていたのは謎だが、、、彼にとっては、ただマイナスだと思うのだが、よほどギャラが良かったのか)。

その中で前から気になっていた「LIFE AFTER PEOPLE」地球から人間が居なくなったら、が見たかったので(本はかなり分厚くて腰が引けている)見ていた。まぁ予想通り街は人が居なくなれば、人間以前の世界に戻る。それだけである。

そこで気になるのは人間は悪なのではないか、そして究極に環境に良いのは人類が絶滅すること。という理屈である。まぁ、それはそうなのかもしれないが、何も考えていないと言うしかないような・・・

まずは「環境に良い」の定義がわからない。まるで人間以前は最上のような評価だ。人類が居なければ、環境の良いも悪いも誰も判断することは無いし、それこそ生き物、もちろん人類以外だから畜生というやつらがほとんどだ。そいつらに環境の良いとか悪いとかは関係ないだろう。関係なければ、環境が悪くても良いと言うことだ(変な言葉だ)。

環境に良いとか悪いとかというのは人間あっての事だ。

「不都合な真実」というのは象徴的だ。誰かにとって不都合=環境に悪いという事なのだ。不都合さえ考えなければ、環境破壊も、地球温暖化もなんにも困らない。

ではどうすれば、何を問題とすればいいのか。そこのところを考えなければ駄目である。

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2008年6月 5日 (木)

二十世紀最大のアート

もうすぐ21世紀も1割が終わります。

20世紀から何かが変わったのでしょうか。

個人事で申し訳ないのですが私のテーマでもある「環境」に興味が集まり、少しずつではありますが知識が得られてきています。

アートとは元々、人工物という意味。実は政治も経済も戦争もアートなのである。そのアートである戦争を解決するのもアートだ。その中で最大のものは「環境破壊」もしくは「環境問題」だと思われる。

人類は平和を願いながらも、平和を勝ち得る事はできなかった。まぁ、勝ち得るという発想自体が勝ち負けだから戦い=戦争の素なのかもしれないが。

しかし世界中が共通の問題として環境問題に取り組もうとしている。戦争は最大級の環境破壊である。となれば、もはや戦争と言う贅沢はしたくても出来ない世界になるかもしれない。

もっと環境を破壊して、人類が立ち行かないほどの深刻な問題が目前にまで迫った時、その時の地球は戦争がなくなるのではないか、しかも完全に環境が回復するのには途方もない時間がかかる。ある意味サスティナブルな問題だ。

乗り越えられることもない平和への重しになれば環境問題は最大というだけでなく、素晴らしい人類の創造物=アートになるかもしれない。

それとも貴重となった資源を奪い合って殺しあうのだろうか・・・・それもアートだから良しとすれば良いのか

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2008年6月 2日 (月)

ecolomy

日経エコロミーというサイトがある。

エコロジーとエコノミーを足したのだろうけど、騒音の中で聞けばエコノミーと聞こえそうだ。どちらのDNAが濃いかは・・・

養老孟子先生へインタヴューしたりとバラエティに富んでいて、各人の意見が(無料で)読めるのは面白い。グーグルのグリーンエネルギー本部長さんや、レイチェル・カーソン協会理事長など、環境についてというよりも各人の立場で何が正しいのかを真剣に考えていらっしゃるのが良く伝わる。

環境についてまともに考えている人は「環境にいい事をする」なんて言わないと思う。そこから環境についてまともに考えている人かどうか区別ができると考えている。

環境にいい事をするのは3F。環境に悪い事はできる限り減らそう。

今、ひとりひとりのレベルで出来ることを考える時には、かなり有効な判断方法だと思います。

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2008年5月30日 (金)

わからん

ブログの使い方がイマイチわかっていません。

そんなわけで単なるリンクとなってしまいますが不勉強を嘆くしかないです。

基本的にはソトコトとか好きじゃない。ロハスも好きじゃない。エコプロダクツとか呼ばれるものが一切好きじゃない。そんなわけなので環境活動をしている人は好きじゃないことが多い。

好きじゃないと言いつつも、とっても気になる。

今日、たまたま見かけたブログはそんな環境活動家のおひとりのものなのだが、ケネディの言葉に感動したので、かってにコピペするのも抵抗があるのでリンクで紹介だけさせていただく。ぜひ一度読んで頂きたい。

「船乗り日記」

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2008年5月25日 (日)

活性化に絶望した

東京に住んでいた。それから金沢に移り住んでいる。

最近思うことがある。活性化こそが死への道ではないかと。

解りやすいのは活性酸素が細胞を殺すということ。これを街に置き換えると、街の活性化が進む、細胞である町の店や住人は死ぬ。

解りやすい例は我が町に大型ショッピングセンター(大企業・大資本etc)がやってきた。それを中心に発展するかもしれないが、小さいお店などは消え、結局日本中同じ風景となる。そして、そのショッピングセンターなりが去ってしまうと、街は死に絶える。

活性酸素の話だけではなく、生物界では同じような話は多い。

ある動物が増えすぎれば、かなりその後劇的に減る。もしくは絶滅する。

ある植物が生い茂ると、ある時に何らかの原因でその植物が死ぬと、まるで全部の植物が死んだような風景が出来る(日本は自然が強いので実感しにくいが)。生物多様性を大事にしようとか、エコロジーをと考えるのであれば街の生物多様性や、街のエコロジーに関しては考えないのか?北極熊のすむところが無くなるとヒステリックに叫ぶ前に、商店街の金物屋さんが無くなると叫ぶべきではないのか。

金沢でも町の活性化の為の活動がいくつもあり、また一つ始まったという記事を発見する。活性化が進めば死も増える。死人は声を出さないので活性化の良い面ばかりを見ている。この記事から死者の声、死者の警告を読み取って欲しい。

経済の話(環境問題)・ニュースや活性化はまるで戦争中の本営発表のようだ。

疑問を持ったら非国民であるという変わりに「KY」という言葉までセットで開発したファシズム。

死者の声を聞かせない、もしくは聞かせないために殺すという「死人に口なし」の偏った情報=フィクション。

街の活性化の代表者たちに群がる各種メディア(今回の情報リソースにリンクした2社様申し訳ありません、あなたがただけではありませんのでお許し下さい)という流行=ファッション。

そうであるエコの時に書いたようにこれも3Fなのだ。

大儀という旗を降ろしなさい。

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2008年5月21日 (水)

日本は何にお金を払っているのか

後期高齢者保険料の問題が騒がれている。こおいう話は施行後ではなくて法案成立前にやってくれ・・・。

日本は老人に払うお金は無い。

しかし外国へ払うお金はいっぱいある。

アメリカから石油を買って、その石油を米軍に補給したり、米軍の費用を支払ったりしている。アメリカはその軍事力をもって石油エネルギーを調達する。

ヨーロッパはCO2の排出権という存在しもしない物を日本に売って、そのお金でソーラーパネルや風車を調達する。

日本は「グーグル社はソーラーパネルで発電してクリーンエネルギーで運営しているんですよ。エコですね」と暢気に騒いでいるが、それは誤認識も甚だしい。

彼らにとって電気は生命線だ。生命線の安定確保のために自前で発電しようとしているのだ。エコは関係ない。エネルギー戦略だ。

アメリカは軍事力でエネルギー資源を奪う。

ヨーロッパは新たな錬金術を京都議定書という魔道書によって手に入れ、そのお金でサステイナブルなエネルギーの開発に投資している。

日本は払うのみ。エネルギー戦略はあるのかないのかもわからない。

そろそろ、どこかの自治体は破綻してもいいからソーラーパネルを買い漁ってはどうだろうか。その自治体の破綻と日本の破綻、どちらが早いかの勝負だ。

日本が破綻すれば、どうせジャパンマネーは紙くずだ。その時に膨大な量のソーラーパネルを持っていれば、電気を売って生活できるかもしれない。ソーラーパネルの材料もまた有限の資源だと言うことに気付けば、それは遠い未来の話でも無いと思うのだけれども。

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2008年4月26日 (土)

江戸時代の環境戦略「大名庭園」

こんなタイトルを付けると

「江戸は当時の世界で最高のエコシティだった」とか「リサイクルが徹底していた」というような「江戸を見習おう」記事だと思われそうであるがそうではない。

三名園などを代表とする大名庭園は、今でこそ観光資源になってしまっているが、本来の機能は、まさに緊急時への備えとしての資源だった。

松竹梅はそれぞれ燃料、容器・武器、食料であり、噴水や池、川はそのまま水である。そんな事は有名だと思われるかもしれない。

しかしこれらは今でも同じではないだろうか。

国家とは有事にそなえてエネルギー、軍事力、食料、水を備えておかなくてはいけない。江戸時代から、いやきっと、もっともっと前から解っていることだろう。

これらが失われると国民は生きていけない。漠然とした環境なんて大きいことを言うと、問題なのかどうかも人間ごときに理解しきれるとは思えない。

それよりも今後エネルギーはどうするのか?軍事は自衛隊なのか米軍なのか?食料自給率はどうするのか?水は日本は豊かだから置いておいても良いのか?

CO2なんてどれほど増えようと影響はわからない(因果関係は全く解っていない。相関関係はありそうだという事しか未来永劫わからないのではないか)。しかしここに上げた問題が発生すれば経済が破綻するなんて生易しいものではなく、多くの国民が死ぬ。

そして国家と言う枠をさらに広げて地球市民なんて言い方をすれば、どうなるのか。

そういった事を考えないでトレンドで動くエコ活動は見ているだけで疲れる。

なんでまた愚痴るのかって?うっかり読んだ新聞でエコへの取り組みでしたいのは(女性)1位:エコバック、なんていう馬鹿な記事を読んでしまったからだ。

そしてアースデイのスペシャルコンサートの中継をラジオでやっていた時もアーティストが「私のしている活動はエコバック」だと平然と言い。しかも「大きさを使い分けたりするので3つ持ってます。もっと増やしていきたい」という謎の発言をしたり。「オリジナルエコバックなんかも作って売ってるんです。スタッフと使ってみると改良点が出てきて、どんどん改良していこうって話とかしてるんですよ」なんて言ってた。

なんなんだそりゃ・・・エコバックも使い捨て(1回ということはなくてもシーズン毎に)の時代が来るのかもしれない

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2008年4月19日 (土)

神農の言葉

今日現在「環境ブログ」とgoogleで検索すると約 774,000 件ヒットする。

「環境」だけの場合は約 4,360,000 件ヒット。そこで知らなかったのだが鳥取環境大学人間環境大学なる大学まであるのには驚いた。

「環境ビジネス」で検索すると約 751,000 件、「ビジネス」だけで検索すると約 4,770,000 件であるからネット情報ではビジネス全体の15.7%が環境ビジネスになってしまう計算になる。

環境とビジネスは対立する(しないものも稀にあるが、稀過ぎるので無いと言う表現を使っても間違いではない)。それなのに、このありさま。持続可能(サスティナブル)なんて厳密に言い始めたら絶対不可能なのに(太陽でさえ永遠じゃないんだよ、諸行無常)ロハスだとかサスティナブルな○○だとかが氾濫する。

環境意識が高い人(俗にグリーンコーンシューマーと言うらしい)や、サスティナブル好きな人が全員「馬鹿」、もしくは「勉強していない」か「人を疑うことを知らない純粋無垢」と言い切ってしまえば問題が解決するのだけれども、そんな事はないと思っている。

紙の偽装のように「エコ偽装」「環境偽装」がドンドン推進される(例えば屋上緑化はエコというのは明らかな間違い。それでもエコだといって推進されている)。

資本主義のマーケットや、神の見えざる手、需給バランスだとかで世の中は良い方向へ行くというのは(経済学でも例外もあるし、そのための金融政策だとか、そおいうことも理解したうえで市場原理主義的なことを言う人がいるので)間違いだと思う。

環境の理解なんて出来るわけないのに、環境をどうかしようという不可解な動き。

少女売春(約 1,770,000 件)援助交際(約 3,310,000 件)やら不倫(約 1,030,000 件)やら、誘拐やらの温床「出会い」を検索しても約 1,090,000 件。その4.3倍のヒットを記録する「環境」。社会を破壊するのは経済であり、その経済システムをもって環境対策をしようというのは難しいのではないか。

封仙娘追宝録』(ろくごまるに著・富士見ファンタジア文庫)という本を少年期に読んだのを今、思い出す。ストーリーは「仙界にて修行中の仙人・和穂は、小さなミスから、封じ込められていた宝貝(魔法の道具のような物)を人間界に落としてしまう。様々な欠陥のため封じていた宝貝はその数、なんと726個。和穂は宝貝回収の旅に出る。中華風異世界ファンタジー」(はてなより抜粋+α)

その中で仙人の開祖:神農は人間界に影響を与えたなんてものじゃなく、全く異質のものに変容させたと言うような事を言う。だったら何故回収するなりなんなり対応しないのかと主人公:和穂は言うのだが、それに対して神農は駄目だという。

その理由が環境問題のような話。宝貝を回収しようと人間界に仙人が出て行くと、なお一層の混乱を起こし被害を拡大させる。最善の方法は「対応しないこと」だと言うのだ。

すごい仙術を使う仙人でさえ、人間界を救う力も無いという無力感が書かれている。

それでも仙人は自分たちの無力さを知っているだけ賢い。

21世紀の人類には環境問題を解決しようと言う輩まで居るのだから。

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2008年4月18日 (金)

環境倫理学を解りやすく説明されたような気がした

後輩がドイツで1年間の実習をしている。
その期間中に遊びにいこうと旅行会社へ相談へ出かけた。
フライト代に航空燃料税など諸税、ホテルに食費や活動費諸々で必要な費用は大体5月の安い時期で30万円。8月の一番高い時期だと40万円を超えると言われた。
高いなぁ。航空燃料税だけで35,000円くらいらしい。
7、8年と言うと、そんなに昔ではないと思うのだが、そのころは国内旅行よりも海外旅行の方が安かった。
当時はかなり海外へ行った。現在の半額くらいだったと記憶している。
円がユーロに対して弱くなったのもあるが、石油の値上がりが主な原因だろう。
石油は限りのある資源である。この事に異論を挟む者は居ないだろう。という事は過去100年の歴史もその通りなように石油の価格は上がる一方だと考えて差し支えないはずである。
となれば、ヨーロッパ旅行はドンドンと遠い存在になっていく。
これは環境倫理で言われる「未来の世代が自分たち自身の欲求を満たすための能力を減少させない」という考えから言えば「ヨーロッパ旅行する欲求」を満たすための能力(機会、生涯で旅行可能な回数など)を減少させているので環境倫理に反すると言っても良いのではないだろうか。
私たちは未来(時間軸は無限)の人が飛行機に乗れる回数を減らしながら飛行機を毎日飛ばしている。
たった数年でこれだから・・・・と考えていけば実感を持って「未来の能力の減少」を体感した気分である。
今は笑い話だが、私は本気でこんな未来を話している。
私がおじいさんになり、孫と話をするころ

私:おじいちゃんは学生の頃だけで10回も海外旅行に行ったんだよ。
孫:うそだー!今は日本人全体で年間5万人までしか海外へは行けないから、ちょーお金持ちだけが抽選で行くんだよ。一人で10回も行けるわけないよ。
私:車だってうちには5台あったんだよ。
孫:えーーー!?おじいちゃんボケてるの?今は車は村に1台シェアしている電気自動車があるだけで、家に1台あるって、ちょーお金持ちの証拠じゃん!5台ってありえないよ〜

最近はガソリンの値上げが凄まじいので、この話をすると「ありえる」とみんなが普通に聞いてくれるようになってしまった。5年前ガソリンは今の半額以下だった。そのころは「何言ってんの?」ってなものだったのに。
ロハスとか軽く言っているがサステナビリティ=持続可能であると言う事がどれだけ大変か、というか厳密に言うと絶対不可能な事だと理解して言っているのか。
私の孫とまで言わない。私の子供に私の行った半分の回数でも海外を見せてあげられるのだろうか

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2008年4月17日 (木)

地球システム私論

私は地球システムをすごいと思っています。その温度管理システムについて。

地球は自然であるから温暖化したり寒冷化したりするのは仕方が無い。しかしそれが大きく進まないように安定?理想?的な中心?許容の幅?中庸?から外れないように、ズレが大きくなると修正するシステムを持っていると考えている。

温暖化=温度の上昇の場合を考えてみよう。これがもたらすのは

○当たり前だが暖かくなる。⇒植物の活性化。

○北極・南極の氷が解ける。⇒水が増える。⇒植物の活性化。

○海面の上昇。⇒陸地と海バランスで海が増える。⇒陸地は熱しやすく冷め易いので気温変化が減る=安定=生命にとっては快適。⇒植物の活性化。

○陸地が減る。⇒動物の活動域が減る。⇒動物が減る。⇒植物を食べるモノが減る。

○海面上昇によって海が広がる=海草の生育層は増える。そして温暖化で植物の生育可能範囲が、より北上&高度も上がる=純粋な植物の増加。

これらによって何が起こるか?CO2は光合成によって減り、寒冷化に向かう。

○陸と海で、海が広がる。⇒熱しにくく気温上昇を抑え、大気中の水蒸気増加によって効率的に宇宙へ廃熱(空冷式ラジエターと水冷式ラジエターの違い)。

そして一番大きいと思うのだが

○氷-水-水蒸気の性質

水の性質を思い出して欲しい加温したり、冷却しても一定の変化をしない。融点と沸点では温度変化が起きないのだ。すなわち融点と沸点で温度には影響を与えないのだけれども熱エネルギーを水が吸収してくれる性質を持っている。

であるから北極と南極の氷がかなり溶けるまでは氷が解けることに熱エネルギーは使われ温度上昇分をクッションする。そして気温上昇による大気中の水蒸気の増加である。おなじく水蒸気に気化するときに温度は変わらず熱エネルギーは気化にだけ使われ温度上昇をクッションする。

そのまま逆にすると寒冷化のケースもわかるはずである。

大きく分けて「生物に影響を与える」「陸地と海のバランス変化で吸収される熱エネルギーを変える」「水の性質」の3つによって調整されると言うのが私の持論である。

●CO2の比熱なんて水に比べたら誤差。

●人間の活動で何か出来るのと、海という巨大な水の塊の動向の差。

いかがであろうか。

人間が自然を理解していると思うのは傲慢ではないか?

私は地球システムはもっと強いと思う。守らなくてはいけない自然や環境はもっと違うスケール・概念のものではないだろうか。

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2008年4月16日 (水)

私にとっての環境問題

環境問題だと今、皆が思っている事、その事自身が私にとっては迷惑だと言う事は散々これまでも書いてきた(例えばレジ袋を有料化して私から勉強するための書籍購入費や貧しい国へ募金していたお金をゴミ袋購入費へとしたこと等)。

そんな環境問題の押し付け問題(eco is 3Fでも書いたファシズム・原理主義的側面)は問題と言うより、大問題である。

私は以前から言っているのは「石油を早く全部使い切れ」そうすれば、どんな天才科学者でもCO2を大量に排出するのが難しくなる。

と、ここからが本日の本題。

「私はこんなブログをやって環境への認識を深めてもらえるように色々努力している。」

これは間違いである。なぜならば有名人のブログでもないので、精々見に来るのは1日10人がMAXである。では何故か?もちろん単なる日記の意味合いが大きいのではあるが、エコの視点で見ると石油を使っているのである。CO2を排出しているのである。

こうやってブログをするという行為は、たとえ見る人がゼロ人であっても

1、パソコンで電気を使う。

2、サーバーの電気を使う。

3、サーバーのメンテナンスを要求する。

4、サーバーの容量を使用することで、ハードの増強や新設の為に資源を使う。

そう、あなたがこれを読んでいるとすれば

+あなたのパソコンで電気を使うのだ。

ユーチューブやアダルトサイトでエロ動画を見るのも、マジメに勉強するためにgoogleで検索するのも、エコ推進のためのブログを書くのも、チームマイナス6%という活動で、アクセス数の多いWEBサイトを作ったり、あっちこっちに印刷物をばらまいたり(どこかの森林を伐採し、それをタンカーで運び、偽装したりなんだりガソリン使って来た製紙会社や印刷会社の営業マンと打ち合わせをして、、、、、)

私は息をするとか、散歩するときはあまりCO2を排出しない。お金を使わない行為は大体CO2が出にくい。しかし咽が渇いたとコンビニに入った瞬間からドーンと増える。まぁそんなもんである。

そういう訳なので不景気になって、みんなが貧乏になれば良いんじゃないかと思うときがある、そのためにも石油を使い切って、現在の経済システムの終焉を迎えたほうが地球と自然の仲間たちにとっては幸福だと思う。

こんな漢字で、いや感じで打ち間違いもなるべく消さずに、今日のブログのようになんとなく勢いで書いて、推敲もせず、解り易い様にカットしたりもせず、だらだら文章を書いてアップする。そうするとより多くのエネルギーが使用されるので良いのである。

別に私はヤケッパチになっているわけでもない。

環境問題をテーマにしていた私は次のテーマに「石油が無い世界」で人が幸福に生きるには、どんな(社会)環境が考えられるか?という事が、経済成長なくして安定も幸福もなし!という世界ではない経済システムとは、どのようなシステムかという、今よりもっと明るい未来を考えているのである。

きっと明るい未来は、見た目には暗い。

だって、LEDではなくて月見でしょうが

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2008年4月 8日 (火)

有機をする勇気、しない勇気

昨日のつづき・微生物が化学より怖いかもしれないと言うことについて。

化学薬品の影響が直接及ぶ範囲は

①使用した範囲

②風で飛ばされた範囲

③水に溶けて流れていった範囲

に限られる。限られると言う表現を使うと狭いように思われるかもしれないが非常に広い。

そして直接的な被害以外で生物が体内に取り込み、その生物を別の生物が食べ、食物連鎖の中に入り込み、広がりながら、かつ濃度を増し、最後には人が食べる。という問題がある。特に怖いのはこの部分のはずである。

『沈黙の春』のカーソン女史も言うように食物連鎖の異常が問題なのだ。その切っ掛けが化学農薬と言うことである。

それでは微生物農薬の場合はどうだろうか。微生物農薬の範囲はそれこそ無限大である。化学薬品と違い自己増殖性を持つ以上どこまでも広がる。

それは本当に人間がコントロールしきれるのか?

それは有毒なものに変異・進化しないのか?

有毒なものにならなくても、その微生物がはびこる事で有益な菌や病原菌が滅びる事はないのか?

病原菌が滅びることで複雑な自然界のシステムに影響は無いのか?

そういった問題が発生した場合、それまで残留農薬などを浄化するのに苦労した土地に、一斉に消毒がなされるのか?

そんな事を言っていたら何も出来ないと言うかも知れない。もちろんその通りである。

しかし前を向いて前進する事は必要でも、視界がさえぎられた状態で前進するのは危険である。

なんだかフロントガラスしか見えない車に乗せられた気分だ。

①サイドミラーが見えない

他の車が見えず車線変更が出来ない。経済合理性によって「良さそう」「コストパフォーマンスが高い」となれば一極集中していき、他の可能性を圧迫する(世の中の雰囲気などで)。

②バックミラーが見えない

後方車両が確認できないのでスピードダウンが出来ない。間違っているのではないかと立ち止まって考えるような事が出来ず、間違った方向でも進み続ける。

③駐車できない

ということは降車できない。一度載ると降りることが出来ない、開けたら最後のパンドラの箱の中身は人類の幸福か、それとも限られた時間の繁栄と引き換えに未来の人類を苦しめる災厄か。

勘違いしないで欲しい。私は微生物農薬反対者でもないし、化学農薬擁護の気持ちも無い。微生物農薬が化学農薬異常に致命的な環境破壊をする可能性を持っていると言いたいだけである。

ミクロではなくマクロで考えて欲しい。シンク・グローバルのグローバルはグローバリズムのグローバルとは別物だと私は考える。

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2008年4月 7日 (月)

幸福とは何か

ゴミ出しのマナーが悪いため自治体がゴミを開けて注意をしているらしい。

その関連の調査でゴミの分別きちんと出来ますか?というのをやっていた。かなり自信のある人も間違えていた。エコのために何ができるかわからないと言う人は、まずゴミ分別のプロフェッショナルになってもらえば良いのではないか。

食の安全が騒がれている。自然・無化学であれば安全だという単純思考の問題はあるが、今日はその事は置いておいて、大人気の「有機野菜」について。それだけ有機だと言うが有機野菜の正しい定義を知っているのだろうか?減農薬との違いは?

次の偽装は有機野菜偽装だろう。誰が有機野菜と、化学薬品を使った野菜を食べ別けできるのだろう?すぐに健康を害する毒が入っているわけでもない。ロハスは偽装がしやすい悪の巣窟なのだ。ロハスを語るものは全て疑った方が良い。

有機野菜を作ると言う事が、どれほど大変なことか解らないから「有機野菜が良い」と言えてしまうのだろう。有機野菜の隙間から芋虫が出てきても、それを喜べるのだろうか?うっかり虫の卵を食べてしまい新しい病気(?)になっても許せるのか。許してもらえないならば農家は、そんなリスクを負う事はできないだろう。

有機野菜の通信販売も大変業績が良いらしい。「有機野菜」=「家族の健康」とすれば「地球環境問題」=「フードマイルの問題」とした場合に、どちらが優先されるのか。

それを「エゴ」>「エコ」と言ってしまうと意地悪すぎるだろうか。

結局は「知る」ための情報収集・勉強の時間が無いと言う。その事こそが問題なのではないか(一応環境などに興味があるという事を前提にしています)。

微生物の研究が進み、バイオ系の技術に期待が寄せられている。私も大変期待している技術ではあるが完全に安全なものなど無いと言うことも忘れてはいけない。

バイオの事故はケミカルの事故などよりずっと恐ろしい。それとも虫も菌も入り込まない工場で作られた野菜の方が良いのか。それとも今の野菜で良いのか。信頼できる農家さんを探すのか。

選択肢が多いと言う事は豊かなことだ。

しかし銃を突きつけられて「金を出すも出さないも、出すとしていくら出すかも、お前の意思にまかせる」と言われても、それは選択肢なのか。食は生命線であるから、大げさとも言えないだろう。

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2008年4月 1日 (火)

21_21designsight「XXIc.」

21_21デザインサイトの「21世紀人」を見てきた。

三宅一生の世界観はやはり面白い。「現代」だとか「21世紀」というものを考えるとき、同時代を生きる我々は客観的になることが出来ないので解りにくい。

しかし、それにあえて挑むこの展覧会は、その勇気だけで見てみたいと思った。

全体を通して「あぁ、今っぽい」という感じは大変受けた。

最近は正統派の美術館の方は、なんとなく元気がないというか、突き抜ける「突破力」みたいなものを感じないのに対して、デザインの方は元気であり、アートは完全に外の力を頼っている感じがする。アートは死んだ。そんな雰囲気が今っぽいのかもしれない。

だからデザイナーはカッコよくて憧れになるのかもしれない。

しかし、勇気を持って言おう「くたばれ!デザインー」と。

それは未来に対して犯罪を犯しているからである。罪人リスト上位は

○デザイナー:必要かどうかではなく欲しいものを作り、資源を消費してゴミを作る。

○広告代理店マン:消費を煽り、物の寿命を縮め、資源を消費しゴミを作る。

○建築家:どうしようもない量のゴミを作る。

○投資会社員:投資こそが成長イデオロギーの根源であり、多くの社会問題の元凶だから。

○人材派遣会社員:人身売買がこんなにも堂々と行われて良いはずが無い。

これらの仕事は若者に人気があり、若くても社会的に成功している人が多い(目立っている?)業界である。全て今日は合法であっても、将来的に犯罪としか言えないものである。

そんなものに若者たちが憧れていたり、目指したりしているうちは社会は良い方向へは進まないと私は確信している。これらの職業には就きたくないと思ってもらうためには、どうすれば良いのか。

デザインがアートより元気である今、それは非現実的である。

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2008年3月31日 (月)

mottainai

「もったいない」が流行り言葉らしい。

実は私はこの言葉、そんなに好きではない。倹約のために「もったいない」というのは好きなのだが、環境問題となると、この言葉はむしろ悪とさえ言える。

少女売春を援助交際と言うことで軽く見せる。無職をフリーター/ニートと言うことで軽く見せる。まぁ軽く感じるかどうかは人それぞれとも思うが、この構造と似ている。

環境倫理っぽくなるが、資源が有限であるならば、現在の人が資源を使えば使った分だけ、未来の人が使える資源は減り、同じように現在の人が環境を破壊すれば破壊するだけ、未来の人は環境を破壊できない(環境負荷をかけることが許されない)事になる。

だから今は「もったいない」で済まされる問題も、100年、200年後の価値観で言えば重大犯罪の可能性がある。今は罰する法律がないので罪ではないと言うのはおかしいのだ。

だから未来の人に対する罪(場合によっては大量殺人)を「あなたのしている事は犯罪になるかもしれません」と言わなくてはいけない所を「もったいない」で終わらせる。これは「売春」を「交際」と呼び変えたのと同じ構造である。

2999年、歴史を学ぶ子供に先生は語る

「1900年から2100年までの200年間で人類は安定的な経済成長が無ければ混乱する資本主義思考を中心とする時代でした。安定的な経済成長が、人ひとりひとりの幸福や、地球環境よりも優先されたのです。ゆえに先にも後にも歴史上まれに見る環境大破壊の時代でした。その時代の人が無知であったが故に今のように植物は植物園、動物は動物園でしか見ることが出来なくなりました」

と言うような話も起こりうるのである。そうなれば今の政治家は環境犯罪を行ったA級犯罪者として扱われるだろう。

景気なんて波である。しかし環境の問題は修復不可能だ。

環境破壊の重みと、世界大恐慌の重み。どちらが重いのか全員がしっかりと考えて覚悟を決めるべきだと思うのだが、それにはまだ100年位かかるか。

「matterarenai!」

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2008年3月23日 (日)

世界は最初から僕だけのもの

ある大学の先生に、環境について自分の考えを話していたとき

「あなたの言っている環境は、今では誤解される危険が高いので環世界と言ったほうが良いかもしれませんよ」という一言からこの本の存在を知る。

ユクスキュルの『生物から見た世界』との出会いである。まさに自分の主張している内容がそこに書いてあった。

こういう事は多々あり「こんな風に思うんだ」と話をしていると「そーいう事は○○が××という本の中で言ってるよ」と指摘される。無知と恥を晒しながら、色々な先人と出会う。

この時に感じるのは、僕の環世界にはない本と見るのか、それとも死ぬまでに出会っている以上は、ネットワークも含めて自分の知覚だと見なして、僕の環世界にある本だと見れば良いのか。

自分の環世界は、厳密には誰とも一致をしない。だから私が見ることの出来る世界は、常に私だけのものである。

あぁ世界って俺のものだったんだ。と思ってみたりする。

そういう事が色々と回る。もっと言うと昨日の私と、今日の私も違うので感じることが違うし、極端な場合は環世界が変わったと言っても大げさじゃない気がする。

だから文章を書くというのは何をしているのかと言うと、そのときの自分との相談の記録か?そこに引っかかり始めると文章が書けなくなる。

今がまさにそんな状況。

Seibutu

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2008年3月12日 (水)

ふぇッくしょん!

今朝から、くしゃみが止まらない。

花粉症である。よく言われる事ではあるが、人工林に杉を沢山植えたからこうなったとか、都市はアスファルトで覆われ、以前は花粉を吸着していた土の地面が少なくなったからだとか、諸説あるし、どれも完全な間違いではないと思うが、私たちには、どうしようも無い現状である。

江戸時代は禿山だったところに植林をして杉の森が出来た。そんな場所は調べると沢山ある。それが花粉症の原因を作っている。

屋上緑化や壁面緑化が建築の寿命を縮めたり、虫の害の原因となることも知られてきた。他にもビオトープから異臭がするとか、ボウフラが大量発生したとかというのも聞いたことがある。公園や街路樹が死角を作り、そこで犯罪や交通事故を生んでいるというのも聞いたことがある。

「自然を増やす」=「良い事」という図式が無いだろうか。どんなに小さくても自然であり、生命であるから人の思い通りにならない。危険や問題が見えていない。

「脳化社会」ではそういった思い通りにならない事を受け容れる人間のゆとり・おおらかさは足りないというか、無くなりつつある。

コントロールしきれないものは排除する

そんなので良いのだろうか。経済理論から言えば「食の安全」や精密機械や衣類といった「製品への異物の混入防止」のために必要な事は理解できる。

それでも感じる、そんなので良いのだろうか。

それが子供や要介護者を殺す保護者を生むのではないだろうか。

自然災害と呼ばないまでも、大雨、強風、雪に極端に弱い社会を作ったのではないか。

スーパーやお店で購入した商品を無条件に信頼する消費者を作っているのではないか。

自然を相手にしたことの無いエリートが農業政策を考えている怖さ。

コンビニエンスストアの無い国へは旅行もしたがらない大学生。

携帯電話の使えない状況に耐えられない高校生。

問題ないじゃないかと言われれば、問題ない。

それでも浮かんでくる思い

そんなので良いのだろうか。

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2008年2月28日 (木)

Peace is 3F

Peace is Fashion(ファッション)

Peace is Fascism(ファシズム)

Peace is Fight(争い)

ノーベル平和賞の企みは危険である。やめるべきだ。

彼の罪はダイナマイトを作った事ではなく、ノーベル賞を作ったことかもしれない。