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2009年8月 9日 (日)

大人は矛盾している

大人は矛盾している。

そう聞くと、大人に対する批判に聞こえるだろうか
それとも、ある事実を述べているように聞こえるだろうか。

私がココで言いたいのは
矛盾しているものを抱え続ける事が出来るのが大人であるということ。
矛盾を抱えきれずに、簡単に決着をつけるのは子供なのだ。
もちろん矛盾していれば皆、大人と言うのは倒錯した結論である。

善悪や環境問題、それ以外にも色々とあるのだけれど
矛盾せざるを得ないのだ。

例えばCO2と地球温暖化。
これらを正しいと信じるのも愚であり
これらを認めないと言うのも愚なのだ。

CO2が増加していて地球温暖化が進んでいる
その可能性は高い。
しかし、あくまで可能性が高いと言うレベルの話。
可能性が高いと言う事は
「全然違ってました。てへ」
って事もあると言う事。
だから信じないし、無視して良いという訳ではない。
可能性が高い以上は対応もしなければならない。
すなわち
1、地球温暖化すると困った事になる。
2、地球は温暖化している。
3、温暖化の原因は主にCO2である。
この3つは現時点で可能性が高い以上無視できないし
対策を採らなくてはいけない。
しかし、同時に3つが間違っているのではないかと思って居なければいけない。
間違っていると思うものを、とりあえず信じて対応する。
この矛盾が大人である。

私流に言うと、これを
「ハイブリッド」と呼ぶ。
地球温暖化防止しなくてはということと
地球温暖化は嘘であるということの
ハイブリッドである。
それは全く中途半端であり、無意味だと言うかもしれない。

ハイブリッド車(電気とガソリン)も
精々ガソリン車の2倍位の燃費だというだけで
べつにエコでもなんでもない低燃費な車だというだけである。
CO2を出さない車じゃないと意味が無い。
そう言う人もいる。
それは正しい。
しかし現実から離れてしまっている。
今出来る事は、脱ガソリンを謳いながら
ガソリンが無ければ走らないハイブリッド車という選択しか現実味が無い。

そうやって抜本的な解決が出来ず
問題を先送りすることでしか
現実的には物事を運転していく事ができない。

あぁ考えながら打っているから最初の意図と外れてしまった。
本当は
地球温暖化は悪い事だ!とか
地球は温暖化している!とか
温暖化はCO2が原因だ!と断言している人は
本当に環境については悩んでいないというつもりだった。
同じく
地球温暖化の何が悪い!とか
地球は温暖化していない!とか
温暖化の原因はCO2ではない!という人もいい加減だと言うつもりだった。

どちらも自然(地球環境)の事を解ったつもりで言っている
解ったつもりでなければ「こうだ」とは言えないはずだ。
だから私にとっては、どっちも同じなんだと言いたかった。

「自然の事はよくわからない」

これが正解である。
自然を舐めんなよ!!
そう言いたかったのだけれども、
なんだかグダグダになってしまった。
あーあぁ

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2009年2月 8日 (日)

だから愛なんだって

10代のころ「愛」とか「やる気」「情熱」
なんて言う人は大嫌いだった。
戦時中の教育かよ・・・
だったら愛国心と竹ヤリで戦闘機と戦えってんだ。
それが10年経って、現在
全ては「愛だ」って言い出した。
我ながら解らないものである。

なぜか?
それは
仕事でも
趣味でも
友人関係でも
恋愛関係でも
どのような人・物・事との関係でも
続けていくと必ずトラブルや問題が発生する。
トラブルまで行かなくても、より良くしていこうと思えば
悩まされるに違いない。
どうしたら良いか考える。
悩むことと考えることは同じことだ。

だから全てのことは
そんなに割り切れず
善とか悪とか言えず
真とも偽とも言えないから
延々と悩み続ける・考え続ける他にない。
悩むことは苦しいことである。
出来ればやめてしまいたい。
だから、どこかで解ったことにして打ち切りにしたり
そもそも関係を終わらせてしまったりする。

そんな苦しい関係性を維持しようとする
いつも嫌な思いをして
愚痴って
怒って
嫌って
泣いて
喚いて
憎んで
叫んで
時に目をそらして
忘れようとしてみたりもして
逃れようとしたりもする。
それでもやめない
もしくは
やめることができない

それは何ゆえか

愛としか呼べない。

愛するものを
嫌うことも
憎むことも
時に無視することさえも
愛の一面なのだ。

やめる決断をすることさえも
最高に濃い愛だと思うし
やめた後でさえ
いつか、思いを振り切れず戻ってくるかもしれない
そんな可能性がある限り
すなわち
死が人生を強制終了する瞬間まで
愛なんだと思う。

そんな愛に溢れた関係性の中で生まれた作品(物?人?事?)に私は感動する。

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2009年2月 4日 (水)

LOVE is ALL

どんなことも

どんなものも

喜びよりも

圧倒的に苦しみが多い

それと戦うのは

愛が全てだし

愛しか方法も思いつかない。

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2008年10月29日 (水)

金屋町楽市

富山県高岡市で開かれていた「金屋町楽市」を観てくる。
何が見たかったかというと金物の街、金屋町の街並みと、建築家・隈研吾さんのデザインしたアルミ製の展示台がどのようなものか知りたかったのだ。
どちらも中々良かった。
アートをうたう街中イベントの延長にあり、工芸がかなり入っているのだけれども、産業と言う認識が強かったからではないだろうか。
次回があるのか解らないが楽しみだ

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2008年8月18日 (月)

本物

本物と普通とでも言おうか。

「闘うデザイナー」だとか「闘う料理人」だとか「闘う○○」という風に言う人が居るが、私はこれに違和感を覚える。闘っていない人なんて居るんですか?

公務員は全員闘っていない。主婦もなにとも闘っていない、ホームレスも闘っていない。そういう事なのか。

いや僕の言う「闘う」は違うんですよ!と言われても闘い方だって、闘う対象だって人によって違う。だから「闘う」と言う言葉が人と違うなんていうのは、当たり前である。それを限定するなら「施主と闘う建築家」とか限定するべきだ。

生きている人間は全員闘っている。自分と、老いと、社会と、、、、、だから「闘う」なんて言葉を付ける必要は無い。闘うということは本当はもっと静かで、辛く、苦しい葛藤のようなものだ。それを言葉にする=客観化して、さらに他社に共有してもらおうと名乗るなんてありえない。「闘っている自分の理想像」に酔っているだけか、闘っていない自分を恥じて、それを隠蔽するのに必死なのかと勘ぐってしまう。

昨日、ある女性の画家さんとお話をした。よく金沢城でスケッチをしているというので、私は安易にも「それじゃ金沢城の植物展とかそお言うテーマで個展をしたらいいんじゃないですか」と言ってしまった。

それに対する彼女の答えは「NO」。

そうすれば「地元の事を愛しているいい人」だとか「郷土ネタとしてメディアも扱いやすい」だとかメリットは山ほどある。しかし彼女は自分の絵を見てほしいと言う。絵で勝負するのだという。

私は感動してしまった。

最近は「地産地消」だとか「郷土野菜(石川では加賀野菜)」、他にも仲間になるのは「ロハス」「エコ」「食育」など。そういった言葉を武器にして闘うやからが多い。

まるで流行に乗っかり、実力よりもそういった二次的なものが主役なような振る舞い。

画家は絵で勝負する。料理人は味で勝負する。

そういった本来の姿が失われているように思う。もちろんそんなつもりは無くて「絵」プラス○○、「味」プラス○○でしていたのが段々ウエイトの置き場所が歪んでしまい、本末転倒する。だから彼らは自信を持って、疑いも無く自分を本物であると考えている。

だから全員が本物かと言えば、そうではないのは自明であろう。

画家の実力は郷土愛の深さと別に観なくてはいけない。

画家は郷土を描くから取材されるのではなく、絵の良さを取材されるべきである。

「地元野菜を使った○○」とか「本物の○○」とか「闘う○○」とかは、本質的な実力や作ったものの素晴らしさを消し飛ばすくらいに人間としての卑しさが滲み出ている。

ビジネスだから仕方が無い?

仕方ないという言葉は妥協したということであろう。それをもって「闘う○○」と言う無かれ。

ビジネスをするのは良い。儲ける商いも良い。しかし「何が悪い」と堂々と言うほど偉いものでもない。

尊敬できる大人が少ないものだ。

本物/ホンモノとは

偽物/偽者とは

普通/それ以外とは

あなたはどうやって生きていくのか。

私はホンモノだろうか。

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2008年6月 5日 (木)

二十世紀最大のアート

もうすぐ21世紀も1割が終わります。

20世紀から何かが変わったのでしょうか。

個人事で申し訳ないのですが私のテーマでもある「環境」に興味が集まり、少しずつではありますが知識が得られてきています。

アートとは元々、人工物という意味。実は政治も経済も戦争もアートなのである。そのアートである戦争を解決するのもアートだ。その中で最大のものは「環境破壊」もしくは「環境問題」だと思われる。

人類は平和を願いながらも、平和を勝ち得る事はできなかった。まぁ、勝ち得るという発想自体が勝ち負けだから戦い=戦争の素なのかもしれないが。

しかし世界中が共通の問題として環境問題に取り組もうとしている。戦争は最大級の環境破壊である。となれば、もはや戦争と言う贅沢はしたくても出来ない世界になるかもしれない。

もっと環境を破壊して、人類が立ち行かないほどの深刻な問題が目前にまで迫った時、その時の地球は戦争がなくなるのではないか、しかも完全に環境が回復するのには途方もない時間がかかる。ある意味サスティナブルな問題だ。

乗り越えられることもない平和への重しになれば環境問題は最大というだけでなく、素晴らしい人類の創造物=アートになるかもしれない。

それとも貴重となった資源を奪い合って殺しあうのだろうか・・・・それもアートだから良しとすれば良いのか

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2008年5月25日 (日)

活性化に絶望した

東京に住んでいた。それから金沢に移り住んでいる。

最近思うことがある。活性化こそが死への道ではないかと。

解りやすいのは活性酸素が細胞を殺すということ。これを街に置き換えると、街の活性化が進む、細胞である町の店や住人は死ぬ。

解りやすい例は我が町に大型ショッピングセンター(大企業・大資本etc)がやってきた。それを中心に発展するかもしれないが、小さいお店などは消え、結局日本中同じ風景となる。そして、そのショッピングセンターなりが去ってしまうと、街は死に絶える。

活性酸素の話だけではなく、生物界では同じような話は多い。

ある動物が増えすぎれば、かなりその後劇的に減る。もしくは絶滅する。

ある植物が生い茂ると、ある時に何らかの原因でその植物が死ぬと、まるで全部の植物が死んだような風景が出来る(日本は自然が強いので実感しにくいが)。生物多様性を大事にしようとか、エコロジーをと考えるのであれば街の生物多様性や、街のエコロジーに関しては考えないのか?北極熊のすむところが無くなるとヒステリックに叫ぶ前に、商店街の金物屋さんが無くなると叫ぶべきではないのか。

金沢でも町の活性化の為の活動がいくつもあり、また一つ始まったという記事を発見する。活性化が進めば死も増える。死人は声を出さないので活性化の良い面ばかりを見ている。この記事から死者の声、死者の警告を読み取って欲しい。

経済の話(環境問題)・ニュースや活性化はまるで戦争中の本営発表のようだ。

疑問を持ったら非国民であるという変わりに「KY」という言葉までセットで開発したファシズム。

死者の声を聞かせない、もしくは聞かせないために殺すという「死人に口なし」の偏った情報=フィクション。

街の活性化の代表者たちに群がる各種メディア(今回の情報リソースにリンクした2社様申し訳ありません、あなたがただけではありませんのでお許し下さい)という流行=ファッション。

そうであるエコの時に書いたようにこれも3Fなのだ。

大儀という旗を降ろしなさい。

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2008年4月 7日 (月)

幸福とは何か

ゴミ出しのマナーが悪いため自治体がゴミを開けて注意をしているらしい。

その関連の調査でゴミの分別きちんと出来ますか?というのをやっていた。かなり自信のある人も間違えていた。エコのために何ができるかわからないと言う人は、まずゴミ分別のプロフェッショナルになってもらえば良いのではないか。

食の安全が騒がれている。自然・無化学であれば安全だという単純思考の問題はあるが、今日はその事は置いておいて、大人気の「有機野菜」について。それだけ有機だと言うが有機野菜の正しい定義を知っているのだろうか?減農薬との違いは?

次の偽装は有機野菜偽装だろう。誰が有機野菜と、化学薬品を使った野菜を食べ別けできるのだろう?すぐに健康を害する毒が入っているわけでもない。ロハスは偽装がしやすい悪の巣窟なのだ。ロハスを語るものは全て疑った方が良い。

有機野菜を作ると言う事が、どれほど大変なことか解らないから「有機野菜が良い」と言えてしまうのだろう。有機野菜の隙間から芋虫が出てきても、それを喜べるのだろうか?うっかり虫の卵を食べてしまい新しい病気(?)になっても許せるのか。許してもらえないならば農家は、そんなリスクを負う事はできないだろう。

有機野菜の通信販売も大変業績が良いらしい。「有機野菜」=「家族の健康」とすれば「地球環境問題」=「フードマイルの問題」とした場合に、どちらが優先されるのか。

それを「エゴ」>「エコ」と言ってしまうと意地悪すぎるだろうか。

結局は「知る」ための情報収集・勉強の時間が無いと言う。その事こそが問題なのではないか(一応環境などに興味があるという事を前提にしています)。

微生物の研究が進み、バイオ系の技術に期待が寄せられている。私も大変期待している技術ではあるが完全に安全なものなど無いと言うことも忘れてはいけない。

バイオの事故はケミカルの事故などよりずっと恐ろしい。それとも虫も菌も入り込まない工場で作られた野菜の方が良いのか。それとも今の野菜で良いのか。信頼できる農家さんを探すのか。

選択肢が多いと言う事は豊かなことだ。

しかし銃を突きつけられて「金を出すも出さないも、出すとしていくら出すかも、お前の意思にまかせる」と言われても、それは選択肢なのか。食は生命線であるから、大げさとも言えないだろう。

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2008年3月26日 (水)

引越しだ

引越しをします。

しばらくオフライン生活です。しばらくは心置きなくブログをサボれます。

春からは石川県金沢市です。

引越しは何度しても慣れないものです。只ひたすらに邪魔臭い。

梱包材は使いません。全部タオルと洋服。なにせゴミを出すのが嫌いなのです。

ゴミはゴミだと言った瞬間からゴミになり、ゴミだと言わなければ永遠にゴミではない。

買うときにゴミになりそうなものは選ばない。徹底しているので本当にゴミ少ないです。

ゴミ捨ては月に3回くらいかな?環境破壊するのって、結構面倒なんですけどねぇ。

まぁ、徒然と書きましたが、引越しだって言う記録でしかありません。

春から新生活を送る皆様。一緒に頑張りましょう。

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