私と同じ金沢出身の川田亜子さんが亡くなられた。ニュースでご存知の通り自殺である。
同郷の美人であり、密かに応援していたのだが残念でならない。
人はなぜ自殺するのだろうか。当然その理由は千差万別で十把一絡に「良くない」とか「やめよう」と言ったところで無駄であろう。
キエルケゴールは死に至る病を絶望と言った。川田さんも自殺前に自身のブログで「母に生きている意味を聞いてしまった」と書いている。もちろんそれが理由かどうかなど死者に聞くことはできないので、真実は闇なのだが、「絶望」「生きる意味」というのはキーになると考えられる。
どうせ慌てずとも、どれほど拒否しようとも死は訪れる。ではなぜ自ら死を選ぶのか。それは人生の残された時間に何の意味も見出せず、もしくはマイナスだけ(苦しみだけなど)しか見出せず、明るいものが無いと考えるからであろう。
辛いだけの時間であれば、退屈なビデオを早送りするように飛ばしてしまえばいい。それが自殺だと私は考える。
「絶望」=「残りの人生に意味が無い」と考えることは「人生に意味がある」の反作用であり、更に言えば「目標を持て」とか「人生は美しい」とかいうものの持つ反作用では無いか。哲学ちっくになっていく私が、いつの日か自殺するのではないかと心配してくれる友人が居る。しかし、それは無い。
重複になるが自殺する人は、残りの人生に意味を見出せないと言うことだ。
私は既に自分の人生に意味を見出していないし、そおいう意味では、ずっと昔に絶望しているし、一度死んだ事がある(これについての説明は長くなるのでまたいつか)。
とっくに自分の無意味さに気付き、受け容れてしまった。
しかし死には至っていない。それは「無意味の意味」を知っている、いや知っていると言うのは言いすぎで、無意味の意味というものもあるはずだと、妄信しているからである。
現代人は夢をもち、目標を高く設定して、激しく競い合っている。無駄や非効率、空虚な人生を嫌い、中身の無い人間だと言われることに嫌悪感を感じている。
そりゃぁ、死ぬしかない。止められない。むしろ死なないで生きている馬鹿な奴の鈍感さに腹が立ちさえする。
しかし無意味にも意味があるのであれば、真の無意味は消え去り、絶望もなくなり、残りの無駄な人生を楽しむ事だって出来るはずだ。
無意味の意味を知るときに絶望は消え、人間は救われるのではないかと思っている。
くだらなくて、恥ずべきで、無価値だと
決め付けるのはあなただ
しかし、それは社会の価値観に大きく影響を受けている。実はあなたでありながら、あなたではない。自殺しようとする人は、もっと勉強するべきだ。
私ならこう言う
「死に至る病は無知である。」