彦坂さんのブログで「ヒットラーの経済政策」というコラムを読んでいて思い浮かんだ事がある。
それはなんだか民主党が言っている事と似てるじゃないかということ。
しかし同じ日付の内田先生のブログ「夢の中へ」では
自分たちの周囲にあるものについて、どうしてこのような制度を私たちの祖先は採用したのか。どうして、このような制度が採用されて、「そうではない制度」が採用されなかったのか。「そうではない制度」としてはどのようなものが可能だったのか、といった一連の問題について考える知的な構えのことをミシェル・フーコーは「系譜学」と呼びました(もしかすると違うかも知れませんけれど、私はそういうふうに理解しています)。
私が提唱しているのは、「系譜学的に思考する」ことです。ある社会制度がうまく機能していないとき、いきなり「ぶっこわせ」と呼号したり、「最善のソリューションはこれである」と非現実的な夢想を語り出すのを少しだけ自制して、「このような制度が採用されるに至った」時点まで遡及し、そして、そのときのリアルタイムで「ほかにどのような選択肢があったのか」を(想像的に)列挙してみること、それがさしあたり私が心がけていることです。
と書いてある(というかブログの方でもご自身の著書からのコピペなんだけど)。
自民党が作ったという今の色々の制度
それから問題・諸悪全てへの責任を自民党は持つ
(自民党も国民も、もちろん野党も持っているのだけれども)
そう主張する民主党。その主張をするからには
民主党だったら
その時どうしていたのか?
どんな制度を作っていたのか?
これらは大きな問題なのだけれども、それについて語るには難しい。
次の選挙で民主党は勝つだろう。
けれども、やっぱり上手く行かないところは必ずあって
(魔法のようにパッと良くなる可能性は皆無だと皆知っている)
そこを相手にワイワイ騒がれて
その反動で今よりも墜落する。
そして再度ねじれ国会を生み
政治が不安定化して
結局誰もリーダーシップがないという結論を国民は出す。
(首相だけで決められる法律は一つも無いというのが民主主義の仕組みだから当たり前である)
「自民対民主」という構造でやっているかぎりは
あと20年は安定するまで時間を要する。
それにしても、政治の大局ではテレビで言うように
自民に追い風とか、自民に逆風とかという見方は正しいかもしれない。
しかし細かく区切った選挙区では「自民対民主」ではなくて
「立候補者対立候補者」の戦いのはずである。
そういう構造で有権者が投票しない限りは日本は変わらない。
こういったロジックを元にして、ちょっとドギツイ言い方をすれば
どんなボンクラ政治家でも
私利私欲のためだけに動く政治家でも
どんな政治家でも例外なく、選挙で選ばれた政治家である。
政治家が悪いという発言をする人間は
その政治家より遥かに悪い。
(がその責任は有権者数で割ったものなので責任感は薄まる)