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2008年12月

2008年12月31日 (水)

金沢元年の終焉

私達は有形・無形なさまざまな形で
意識的・無意識的にメッセージを発信している。
しかし、それは誰かに届いているのだろうか。

社会が悪い
政治が悪い
企業経営者が悪い

よく聞くフレーズだが
個人名がどこにも無い。
一体誰に向かって言っているのか
「文句があるなら、お前がやってみろ」
そんなフレーズに怯えているのだろうか
言論の自由という言葉に
甘えているだけじゃないのか
無責任極まりない発言の数々
意識的・無意識的に責任回避している。
そういえば誰が言っているのかも解らない。
きっとその為に群れるのだろう。
誰が言ったか解らないようにするため。
数が居るから強いと信じているため。
自分は安全な場所から話す。
誰の言葉か、わからない事を話す。
メッセージの送り先だけでなく
発信元も個人名がないのだ。

卑怯者と罵ろうにも、受け取る個人は居ない。
受け取り手も、話し手も不明な世界
しかし批判だけは確実に存在している。
生きるというのは戦うことである。
そこに山があれば登るし
困難は避けるものではない。

困難を避ける
もしくは先送りする
その人を見れば、生きていないだろう。
少なくとも活きては。

金沢に引っ越して最初の年が終わる。
金沢は卑怯者だらけだ。
自分をさらして
自分の言葉で語る人がほとんど居ない。

別に金沢人が悪い訳ではなく
日本中どこでもそうなのだろうけれど
絶対数が少ないので、卑怯で無い人と出会う機会が異常に少ない。

ひとつの原因は
アーティストが足りないのだろう。
よく解ったのは、金沢にアートは無い。
あるのは工芸とデザイン。
すなわち、アーティストは不在で
工芸家とデザイナーが居るだけである。
工芸家やデザイナーのメッセージは
アーティストに比べれば薄っぺらだ。
結局は金沢で私の心が動かされたのは
個人的な出来事と、書物のみだった
この濃厚なる退屈さと
卑怯な人の集まりを
いかに楽しむか。

それでも私が金沢でやっていけるのは
卑怯ではない友人達のお陰である
いつも本当にありがとう。
皆様が居なければ、私は発狂しているだろう。
来年もお付き合い願いたい。

それでは
卑怯な人も卑怯で無い人も
皆様、良いお年をお迎えください。

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2008年12月30日 (火)

無限の彼方

分裂勘違い君劇場」というブログをみつけた。
とても極端な認識ではあるが、そのぶん面白いし、解りやすい。
極端な話というのは無限の世界と似ているなと思う。
無限というのは、理論・理屈・計算ではそうなると理解できるし、多分そうなるのだろう
しかし無限というのは、物理的に不可能なので、実現することはできない。
理屈だけで、実現できないというのが極論と似ているのだろう。

極論は非現実で特別な状況だと思う。
同じように無限の世界では特別なことが起こる。
0.9999・・・・・と無限に続く数
1に近づいて、でも1には触れない漸近線を思い浮かべてしまう。
しかし無限での証明では、これは1に等しくなる。
証明は
0.999・・・をAとすると

A=0.999・・・
10A=9.999・・・
10A-A=9.999・・・-0.999・・・
9A=9
A=1

となる。
絶対に重ならないと思われていた線が重なる。
無限の彼方では特別な事が起こる。
重なることの無いはずの線も重なる。
この事は
解り合えない人も、もし無限の時間と根気があれば必ず分かり合えるのだと
絶対分かり合えないものは無いのだという夢を与えてくれる。
私達はそれを待てないだけなのである。

無限であり、極論であるから実際には無理だと笑われるだろうか

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2008年12月29日 (月)

「いいひと」は迷惑です

なんだか、少しアクセスが増えていた。
おそらく「さんま・福澤のホンマでっか!?ニューススペシャル」の性ではないかと思う。
私は飲み会に行っていたので、この番組見ていないのだけれども、内容にいくつかエコの問題を、テレビの普通とは逆の方向で解説されていたらしい。

まぁ、そんな事はどっちでも良いのだけれども
本当に世の中には「いいひと」が多くて困る。
もう少し正確に言うと
「善いことをしたい人」
もしくは
「自分を善い人だと思い込無のではなく、本当にそうだと思い込んでいる人」
彼らは私からすると、とても迷惑な人である。
基本的に「いいひと」が嫌いである。
彼らは「みんなで」しようとする。
すなわち常に自分は正しいと確信しているのだ。
正しくないかもしれないと疑う能力が欠落している。
きっと、そおいう人は自分の頭で考えていないと私は決め付けている。
そうでもしないと説明が付かない。
だって自分で考えていれば「みんな」同じ考えに至るわけが無い。
それは、景気回復には
<消費税アップ>そのかわり住宅などの最低限の生活保障をする。生活不安が不景気の原因だから。
と考える人
<消費税ダウン>それによって消費を刺激して不景気対策をする。
と考える人。
同じ時代に生きて
同じ社会現象にぶつかっていて
同じくらい正しいと思われる。
それでも真逆の結果に至る。
いいひとは、浅はかなのだ。
きっと戦争が始まれば、喜んで戦地に家族を送り
より多く殺してきたことを褒めるようになるだろう。
私は戦争を起こすのは、いつも「いいひと」だと確信している。
むしろエゴイストや悪人だけが戦争を止める事が出来るのだと信じている。
しかし「いいひと」こそが本当のエゴイストなのだ。
エゴイストや悪人は、むしろ、その社会的な役割を担わされている本当の善い人なのだ。
今回、わざと複数の、さらに真逆の意味で「いいこと」や「善い人」「善人」を、ごっちゃにして書いた。
書き分けるのが面倒だっただけなのだが
世の中には賢くない人(と自ら思っている人)は居ないのでキチンと読んで下さい。

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2008年12月27日 (土)

長生き

ドラマ「長生き競争」を見た。
ある出来事や、事件、ニュース、ドラマを通じて、斜めから社会を見るというか(俯瞰しているつもりなのだが)、そおいう視点から言えば「老い」や「死」に向合う作品が出てくるというのは、それだけ高齢者が増えたとか、社会的に成熟してきたとか言えるのだが、そういった事を抜きにして面白い作品だった。
私達はいかに生きるのか、それはいかに死ぬかという事である。
以前から「命」は「(残り)時間」と言っている。
バタバタと人の死ぬ、ハッピーエンドも無い
良い話だった

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2008年12月26日 (金)

命より大切なもの

高校生が携帯電話を忘れたといって燃える家に戻り亡くなったらしい。
信じられないが事実である。
命がけで守るものが「携帯電話」だったとは。
彼にとっての携帯は友達の象徴だったのか、それとも恋人の象徴だったのか

かって侍は火中で守るべき絵などは切腹して、腹の中へ入れ、自分の身を耐火金庫のように使って守ったなどという話もある。
また「お家」の名誉の為に喜んで死んだりもした。

私達は命より大切なものなんて持っているのだろうか

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2008年12月25日 (木)

クリスマスプレゼント

メリークリスマスということで、ブログを読んでいるかたへのプレゼントをと。
という訳で、当たればラッキー、外れたら「外れたじゃないか」と文句をいう権利があなたには発生(笑)する
石沢の2009大予言をプレゼントします。

予言と書いたのだけれど、本当は予測なので、割と自信を持っている。
2009と書いたのだけれども、個人的には「これから」という感じなので来年実現するかは解らないのだけれども、2008は予測を大幅に裏切る早い時代の流れなので、誤差を修正すると2009年の間に共有の意識となっているのではないだろうかということで。
と勿体つけたところでソロソロ
これから資源高、エネルギー高がさらに進んで(実際に進むかどうかではなく、進むと信じられているので進む)ある意味での贅沢が緩やかに制限されていく。
その結果は高度経済成長の少し前のような生活だと考えられる。
コミュニティは小さく、わりと密であり、企業もなんだか家族的な雰囲気、商店街も復活し、大家族も本当に1軒に住まないまでも歩いていける範囲にまとまっている。
観光に関しても選択の幅はせばまり安くいける場所、それは交通による距離感で決まてくる(例えば金沢からだと鹿児島より韓国の方が近いなど)。
テレビもそれほど優先順位は高くなくなることで、一人1台から一家に1台へと戻っていく。
いつのブログ?何かの記事?で書いたのか忘れてしまったが、オールウェイズ3丁目の夕日は、懐かしい日々に哀愁を感じるものではなく、来るべき近未来に対する予習なのだという思いは益々強くなっている。
社会は似たような所(しかし全く一致はしない)をグルグルと回る。時代は繰り返すというところ。
だから歴史を学ぶことは直接的な利益に結びつくことも多い。
そんな昭和前~中期の暮らしは我々ロストジェネレーションにとっては未経験であるがゆえ、単に目新しい未来であり楽しいかもしれないが、そういった暮らしを経験していたお年よりや、消費や個人的な喜びでしか快感を得られないアラフォー(やそれに近い精神構造の人間)にとっては惨めな時代へと進んでいるように思う。

と、書いていて気が付いたのだけれども、実際の年齢は関係なく、マスメディアの社員や広告代理店の人間は高所得で、すなわち社会的に高い地位を持っている。異性からも人気が高い。
それはバブリーだってことでアラフォーのような精神構造である。
だから彼らにとっては惨めな、歓迎できない時代だろう。
だからメディアは、こぞって不況を問題だと騒ぐ。
マスメディアが時代(世論⇒政治)をコントロールできる。
そう考えるとマスメディアと官僚は自分に都合の良い社会を作れる。
だからこそ「不況は敵だ」とことさら報道するのだろう。
これは報道なのか布教なのかわからない。
「ストップ温暖化」よりも「ストップエコ原理主義」を掲げる当ブログにおいては
「ストップ不況」よりも「ストップ布教」を掲げたい。

いつの間にかクリスマスプレゼントとしての予言から、話が流れ流れてしまった。
何はともあれ、全ての人(マスメディアの人も官僚さんも)が楽しいクリスマスであることを祈っております。

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2008年12月24日 (水)

クリスマスイブ

最近はクリスマスと言う表現を避けてハッピーホリデーなんて言われたりするがホリデーイブなんて言うのだろうか?まぁ元々宗教性に無頓着?ごったにする日本人はクリスマスで良いのではないだろうか。
さて12月24日ということは、今年も残り1週間と言うことである。
テレビなどのメディアは今年を振り返る特番が増えている。
なんといっても近視眼的な我等は、自分からの距離感、今日という日からの距離感の近いものにばかり目が行く。
そのため一番の話題は金融危機、世界同時不況、大々的なリストラ・派遣切り、大企業の赤字決算や破綻に終始している感がある。
こういった、ある価値観(ビジネスの話)が常に一番の興味の対象であるという状況が怖い。

閑話休題
今年始めた当ブログだが、今日までの投稿で180である。
本当の年始から始めたのではないことと、まだ7日間残っていることから、大体2日に1度の投稿と言える。
書きっぱなしで、ほとんど読み返してないのだけれども、どのくらい一年で自分の考えが変わったのか見返す価値は私にだけあるだろう。

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2008年12月23日 (火)

「呪」と「祝」

『大人のいない国』(鷲田清一,内田樹)を読む。
鷲田氏、内田氏共に平成のスーパー売れっ子哲学者なので、面白いのは言うまでも無く、さらに二人がセットという組み合わせはお得というか美味しい一冊。
バランスはやや内田側が多かったかなという心象を受けた。
ブログなど読んでいるので、新しいことは少なく感じたが、呪いと祝いのことについて書かれた部分は面白かった。
同じ言葉・情報でも
発信者不明=呪い=批判
発信者明確=祝い=批評
といった図式(すんごく簡単に言うと)を見て、自分がWEB2.0やBBSに対して感じていた疑問?疑念?信頼できない感じが良くわかった。
これについてはネットの信頼について書いた記事での信頼は個人にしか帰属しないという考えとリンクしていてスッキリとした。

そして呪いが破られる(発信者が明らかにされる)と呪いは跳ね返ると言うが、何でだ?と思っていた長年の疑問も解消した。
安全な場所からコソコソと人を貶めるような事を画策していた人物は、それがバレたら、その人は信頼を失う。
さらに信頼を失った人の発言は過去を遡ってまで無効になり、狙われていた人物へのダメージも多少なりとも回復するに決まっているではないか。
魔法の様だが、我々は過去を書き換える力を持っている証拠でもある。

陰陽師が廃れても、哲学者が消えないのはこんな事からかもしれないなぁ

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2008年12月22日 (月)

ふたつの記事から

以下のふたつのブログを見て思った事は、どんな状況であっても
トップ・経営者・リーダーには良い状況だって事です。
部下に恵まれないと嘆くのは上に立つ人間の発言ではない。
これは上に立つ人間を責める言葉ではない。
その人も上に立つべき人間ではないのに立たされている辛い立場だと理解する。
しかし、誰しもが最初から人の上に立てる人間ではないはずだ。
上に立つべき人間へのエールであり、これは自分へのエールでもある。

「おせっかいな人」の孤独

優秀なナースがいるとシステムがなかなか改善されないという話

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2008年12月21日 (日)

歴史の歴史

「杉本博司 歴史の歴史」のレクチャーメモ

<コレクション>
余剰な物をストックする行為。これは本能的なものである。
そう言われてみれば、内田樹氏も勉強するというのは「今」必要でなくても「いつか」役立つかもしれない知をストックするのが学びというような(そうとう端折ってます)事を書いていた。それの物バージョンだと言う事か。

<公と私のコレクション>
美術館の公のコレクションは客観的でなくてはいけない。
個人コレクターの私のコレクションは自由気まま。
そういったコレクションをめぐる違いを入れ替えてみる。

<歴史は未完である>
記述されて初めて歴史となる。
その記述は常に勝者による記述である。
敗者による記述とは。色々な視点。
歴史は既に終わった出来事ではあるが、自分の中で今立ち上がる。

しかし杉本博司は今日の資本主義によって、かなり大成功した「勝者」であり
杉本氏の視点は勝者の視点の域を出ていないのではないのかという意見も会場より。
結局は勝者の声にしか、勝者も、敗者も、それ以外の者も耳を傾けないからなぁ。
しかし、こういった問いの危ないのは社会の底辺の人間の実情は、社会の底辺の人間にしかわからないというロジックにより、社会の底辺に居座らなくては言葉に正当性を持たせられないというおかしな理屈に陥る可能性がある。

「歴史の歴史」にも歴史(変化・変動)がある。
そうやって見ていこうとすると、実は限りがない。
メタのメタとしていると、永遠に楽しめる。
しかし道を究めんとしている武道や茶道などとは違う。
実は並べ替えでしかなく、不毛であるとも解釈できる。
その先に何があるのだろうか。
何があるかではなく、求めずには居られない「やむにやまれぬ」事情を抱えた人間がアーティストやコレクターになっていくのかもしれない。
だとすればアーティストとコレクターには非常に似通った性があると言える。
元々似ているということは、両方を兼ねたり、行き来している人が居るのも不思議ではない。
そんな不思議ではない存在が杉本博司なのかもしれない。

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2008年12月20日 (土)

ビッグ3

カネ以外に何も生み出さないビジネスは貧しいビジネスだ
ヘンリー・フォード

こんな言葉を残したフォードの創始者は、今日のこの状況を見てなんというだろうか。
カネ以外の価値観を持てずに大金を扱う貧しいビジネスになったからだと言うのか。
(短期保有の)株主なんて無視すればいいと言っただろうか。
社会と超長期の株主とのためにビジネスすればいいと言えただろうか。
その発言が会社の資金繰りを悪化させて株主は解任要求をだすだろうか。
カネさえも生み出せないビジネスは、それでもまだビジネスだろうか。

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2008年12月19日 (金)

地球はにっこり大恐慌

OPECが大幅な減産を決めた。
これは今夏の1バレル=147ドルから今月、一時40ドル台へと急落した価格をなんとか反転させようということらしいが、価格維持さえも難しいだろう。
それだけ物の価値と価格が乖離した世界になったという証明であろう。
それにしても世界経済の冷え込みによる需要急落という視点から、悲観的ニュースとして取りあげられているが、これは夏ごろまで皆で大騒ぎしていたCO2排出削減やら、エコやらの視点から見れば良いことではないのか。
むしろ「地球はにっこり大恐慌」という見出しをエコ系の雑誌とかは掲げればいいのに。
各企業が生産調整だといって派遣社員など首切りしている。
その事自身は経済活動の中でいえば正しいことであり、株主視点ではドンドンするべきだと奨励してもいいくらいだろう。
しかし私には、経済収縮から貧困という流れで、少し飢え死にする人間を地球が増やそうとしているようにも見える。
地球システムがクローズされた物であり、その中で物質(元素)も水もエネルギーもスペースも循環している。
人間一人に必要な量を地球人口で掛け算したとき、先に列記したような要素は不足するだろう。
企業で言えば資金ショートすると言うことである。
資金ショートすれば企業は倒産する。
地球は倒産を回避するために、人口の生産調整に入ったようにも感じるのだ。

人に本当に必要な物はなにか
それだけあれば幸せに生きられるのであれば、それだけで済ませるのがエコである
しかし必要最低限の生活は経済には悪影響を及ぼす
大恐慌は自分の生き方を見直すチャンスである。

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2008年12月16日 (火)

赤い彗星みたいだな

村上龍さんのJMMを読んでいる。
といっても興味のある時だけで、全体の2割くらい読んでいるだろうか?
先日届いた[JMM510M] 政府による雇用維持対策は可能か?の中で、とても面白い表現があった。
三ツ谷誠:三菱UFJ証券 投資銀行本部エグゼグティブディレクターさんの「赤いファンド構想」である。
環境に対しての取り組みを積極的に行っている企業へのみ出資する、緑のファンドのように、雇用を守ろうとする企業へ出資するファンドらしい。
その発想は衝撃的に面白い。
しかし日本ではほとんど英雄扱いのカルロスゴーンさんが、その代表だと思うのだけれど、企業の生産調整で最も大きな調整は下請けからの仕入れを減らし、工場を止める事だろう。
それを下請け切り、派遣切り、定期雇用切りと、まるで悪いことのように責めては会社が維持できない。
発想の面白さと、それが最も効果的だと思うという反面、そのファンドを買う人なんているのだろうかと思う。
そして余程に悪質な経営者でない限り、漏れなく経営者は人員削減なんてしたくない。
だとすれば赤いファンドの出資先に当たらない企業が無くなる。
では雇用を沢山創出する企業を選ぶとすると
単なる大企業向けファンドである。

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2008年12月14日 (日)

より早く

ロハスやエコ、環境にやさしいという一連のイメージの中にスロー(ライフ)というものがあります。
ファーストフードよりもスローフード
これはなんとなく解ります。
しかし、只単に
「ファーストよりスロー」
と取りだされてしまうと違和感を覚える。
だってプラスッチクと紙では、どちらの素材が環境に良いかと言われると
作られるときの環境負荷、使用される頻度、廃棄されるときの環境負荷を考えなくてはいけないでしょう。
しかし、よく言われるのは
燃やされた時のCO2量
埋め立てなどのゴミ問題
この二つではないでしょうか。
そうなるとプラスチックは完全な悪者です。
しかしプラスチックもいつかは分解されます。
核のゴミでさえ何千、何万年という半減期を過ぎれは無力化します。
すなわち環境に悪いとか、環境への負荷が大きいと呼ばれるものは
無くなるのが遅いのです。
紙のゴミだって、核のゴミだって邪魔で、嫌われることにおいては変わりありません。
しかし分解が早ければ早いほど始末しやすい。
それだけでしょう。
だとすればスローよりファースト。
早いほうが良いということです。
すなわち人は我侭で「もっと早く」を自然システムに対しても求めているだけなのです。
スローなものはやっぱり不便なんです。

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2008年12月12日 (金)

おもいつき

なんとなく思いつきなんだが
村上ファンドや堀江ライブドアが、滅茶苦茶に儲けていた時にリーマンも同じように儲けていたのだろう。
法律の問題ではなく、限りなく詐欺的な行為の連続。
まぁ資本主義による信頼(希望)の捏造によって儲けるビジネスは私からすると、合理的で正しくて法律上何の問題も無く、社会をどれだけ支えていると言い、みんなから尊敬されるとしても詐欺だ。
絶対に死んだ後に天国へはいけないので、しっかり善行をしておかないと危ないと固く信じて疑わない。
日本では、そういった流れを察知して村上ファンドも堀江ライブドアも、検察によって破壊された。
もしもそれがなければ、リーマンのように国家どころか世界中に迷惑をかけていたのかもしれない。
そう思うと日本のシステムというのは、かなり早い段階において、悪の芽を摘んでいると言える。
首相が馬鹿をやって、与党が壊れかかっていても国家は混乱していない。
もしかすると世界でもっとも良い国になりつつあるのかもしれない。

これらのことを真とするならば
次に与党が大敗し壊れるのは適正化を進めるための良いことか
それとも良い国日本を、その良さに気づけない国民の善意によって破壊する結果に繋がるやもしれぬ。
そんなことありえないと思うだろうか
似た事は小泉フィーバーで有る程度体験済みのはずである。

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2008年12月 7日 (日)

積読消化しなきゃ

積読をちょっとだけ崩そうと雑誌・ムックなど読みやすいものから消化中。
ここのところはブルータス・杉本博司をはじめとした杉本関係を読破。
それからソトコト新書のロハスの思考(福岡伸一)を読み始める。
福岡さんは素晴らしい作家であり、現在出版すれば売れるという出版界のスターでもある。
読後感想は後日ということで、読み始めの感想。
個人的にソトコトが普及した「ロハス」という言葉に抵抗を感じているので、最初から好意的ではないと言う点も加味して読んでいただければと思う。
福岡さんの文章は素晴らしい。
着眼点も問題ない。
しかし出版社側の不手際が目に付いて読みにくい。
例えば数字が半角だったり、全角だったり。
それは横文字のブログであれば、それほど気にならないだろう。
しかし縦書きに組みなおした場合、半角は字が横に倒れてしまう。
それから「-」なんと呼べばいいのだろう棒と「ー」伸ばす棒がごっちゃになっている。
しかもハイフンの方の半角全角の問題だろうか無茶苦茶である。
タイトル|サブタイトルー
となっていたらなんじゃこの棒?しかも「さぶたいとるー」ってなんだ?と、そこまで思わないが読みにくいのは確実だ。
もちろん福岡さんも著者として校正する責任はあるだろう。
しかし忙しい方でもあるし、そんな些細なことは編集部がみるべきだろう。
木楽舎のレベルが低いことは別に興味ない。
それよりも今回感じたのは携帯小説などからもわかるように、若い世代で「縦書き」に不慣れな人が増えていくのではないのかということ。
そして益々、機械に頼る人が増えていくのではないのか。
さらには読む人が気持ちよく読むための配慮・想像力・思いやりが減少していっている。
世の中は
「はい文章はいいですね。」と読みやすさまでの配慮は無く、じゃ文庫本用に横書きを縦書きに変換しましょうとパッと機械に頼り、縦状態での校正はおざなり、もしくは縦書きに不慣れなためチェック能力が乏しく、そのまま印刷されていく。
そんな印刷物が、出版社からはそんなに出ることはないと思うが、同人誌的なものや、企業、学校、地域の配布物では増えていくのではないかと感じたのである。

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2008年12月 4日 (木)

THE OTHERS

「アザーズ」を見ました。
はい、ニコールですね。
どっちが先かは知らないが、常套手段になっていくワザってありますよね。
そんな感じで「あーあれね」な感じ。
でもニコールの演技はやっぱり良い。
ストーリーは途中で大体読めたので、高い評価はできませんが面白かった。

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2008年12月 3日 (水)

ニュースというお笑い

NHKの世界ニュースを見ていたら
金融危機などで危機的状況のアメリカの自動車大手
通称ビッグ3の首脳が、公的資金を出してもらえるようにワシントンDCへ車で行くという話。
産業の国有化であり、資本主義の共産主義化だとか、そんな真面目な話ではなく笑い話だと思った。
それは前回、国会?に呼ばれたときに首脳達が自家用ジェット機で来たことにコスト意識が足りないと、集中砲火を受けたので、今回は車でだという。
しかしデトロイトからワシントンDCまでは車だと10時間。
一部を飛行機を使えば、車で来たのはジェスチャーだと非難され、
全行程を車で移動すれば、このような非常時に何を暢気なと非難される。
どちらにしても苦しい状況です。
それを聞いて笑ってしまった。
普通のビジネスマンはどうしているのですか?ということ。
日本であれば新幹線のグリーンじゃなくて普通席に乗るとか、エコノミークラスの飛行機に乗るとかあるであろう。
それともビッグ3の経営者ともなれば公共交通に乗ると危険だとか言うのか?
少し高給取りならば、みんな飛行機に乗る国であれば、別に責められたら、そのように受け答えすれば良いし、御国の事情は知らないが普通に飛んでいる飛行機に乗ったらどうだろうか?
場所(国)・時間(時代)・人(身分)が違うと、真面目なこともオカシくなる。

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2008年12月 2日 (火)

ネットリテラシーとシステム論

アクセスランキングに「ネットの信頼性」が上がってきた。
ネットだけのメディアをどこまで信頼してもいいのか。
その信頼を担保するものは何か。というような事を書いた。
まぁ、それについてではないのだけれどネットリテラシー繋がり。
先日、仕事の相手から驚くべき発言を受けたのだけれども、みなさんはどう思われるのか?
それは自社のリーフレットに掲載する文言や写真をネットから取るということ。
おそらくバレないから大丈夫であろう。
しかし、そのとき担当の方から自信満々で放たれた言葉は「使ってはいけない写真や文は勝手にコピーできない仕組みになっているから、コピーできると言うことはコピーしても良いという意味ですから」と言うのだ。
単にコピーを一切禁止にするための処置の方法などがわからないだけかもしれないし、そもそも「駄目」と明記されない限りは「OK」と解釈する都合よさに驚いた。
これは犯罪でなければ何をしてもいいと、マナー違反が横行する世の中をそのまんま表しているように思う。
システムが発達するほどに人は駄目になっていく。
システムによって線引きがされると、そのラインの限界まで活用しなければ「損」だという意識や、ラインのこっち側は公式に「認められた権利」だと主張するのだ。
それによって手前で自粛していた善意は、ラインぎりぎりまで大手を振って行くことが可能になる。
システムがなければ無茶苦茶な社会になるし、システムが出来るほど、人が駄目になり、さらにシステム化を必要とするジレンマ。
社会の常識が常識として機能しないようになりつつある現在では、新しく、また変化の激しいネット社会は現実社会に共有された常識も、あって然るべきのシステムもない。
益々社会は疲れる仕組みへと邁進している。

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転々

オダギリジョー、三浦和義主演の「転々」見ました。
面白かった。
さっぱり意味不明な始まりと、時効警察のときのような小ネタがチラチラ。
段々ストーリーが見えてきて、ほろりとさせるところもあり。
キャラクターが生きていて楽しい。
それにしても映画の感想って何書けば良いのかホントわからん。

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2008年12月 1日 (月)

結局はお金な話

4ヶ月前位からだろうかプリアと呼ばれる広告付き、無料デジカメ写真プリントサービスがシステムメンテナンス終了予定を過ぎてもメンテナンスのままになっていた。
「あぁ、こりゃ潰れるんだな」
何とはなしに、そんな気がしていた。
案の定、サービス終了がアップされていた。
言い分はシステム復旧の目処がたたないとなっているが、本当は広告収入の伸び悩みだろう。
アメリカ発金融危機以来、広告費削減は一気に進み始めている。
実際ココログもアップできるファイルサイズを縮小するなど、サービスの低下はされており、今後更に低下する可能性が高い(それを上回るHDやコンピュータの価格低下が進めば維持できるだろうが)。
そして今日は西田幾多郎記念哲学館の特別企画「農のいとなみ、耕すこころ」の最終回。哲学者の内山節さんのお話を拝聴にいった。
農を産業としてとらえて、お金の話が中心になっていた。
資本の自己増殖性≒資産運用・投資を「冷たいお金」
孫から、おじいちゃんへの贈り物をしようというときのお金を「暖かいお金」
と言った感じで別けて考えて、冷たいお金も暖かいお金も、額面は同じであり、お金である。
だけれども少しでも暖かいお金にしていこう。という
お金という目の前にあるもので留まらず
その先にある心だとかの重要性。
物を見るときに「物」それ自身で終われば何にもない。
その先に、それを作った人の思いや、技術、苦労を感じて我々は物に感動するのである。
感動自信は見えない、物の先にあるものだ。
それから、言葉の力の一面を教えてもらえた。
「仕事」と「稼ぎ」という使分けである。
「仕事」というのは社会・自然だとかを守る一面のある営みで、それが自分達が食べるための農業でも、販売して儲ける農業でも良い。
それに対して「稼ぎ」は生活の糧を得るための営みで、完全なビジネスを指す。
実際、目に見えるものはどちらも農業かもしれないが、内容は違う。
出発点が違うから結果が変わる。
それはどういう事かと言うと
儲からなくなれば「稼ぎ」はやめるが「仕事」はそういった事で「やる」「やらない」を選択しないということ。
これを聞いていて理解した
私は仕事をしたいし、しているのだ
稼ぎをしたいのではない
プリアは「稼ぎ」なのだ
不景気やら金融不安やらで冷たいお金は次の獲物を必死に探している。
なんだか、つい先日も書いたのだが
やはり私はビジネスマンとしては三流だし
向いていない。

そして面白いし、考えさせられる話ではあったが
結局「お金の話」でなければ、より多くの人が当事者意識を持たないから
こういったお話をされるのだろうなと感じて少し元気を失った。

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クリエイター

クリエイターというのは、あんまり認められていない言葉なのか???
というのはクリエイターという言葉が一発で変換されなかったからだ。私の使っているソニーのパソコンが馬鹿すぎるのか、マイクロソフトがアメリカ人だからカタカナ語は苦手なのか。
まぁ、どうでもいいのだけれども
時間があるときには内田樹さんのブログ「内田樹の研究室」のバックナンバーを読んだりしている。
そこである日のブログを読んでいて氏の認めるクリエイター像を読んで納得した。
まずは読んでいただければと思う
http://blog.tatsuru.com/2008/08/07_1131.php
私はライターなのでやっぱり職業としては原稿料が貰えないと困る。
読んでいて頭に浮かんだのは、イコールの中西さんはお金を払って書いて作ってしているので
内田樹氏も認めるクリエイターだと言うことが証明されたので、お祝い申し上げます。

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