金沢元年の終焉
私達は有形・無形なさまざまな形で
意識的・無意識的にメッセージを発信している。
しかし、それは誰かに届いているのだろうか。
社会が悪い
政治が悪い
企業経営者が悪い
よく聞くフレーズだが
個人名がどこにも無い。
一体誰に向かって言っているのか
「文句があるなら、お前がやってみろ」
そんなフレーズに怯えているのだろうか
言論の自由という言葉に
甘えているだけじゃないのか
無責任極まりない発言の数々
意識的・無意識的に責任回避している。
そういえば誰が言っているのかも解らない。
きっとその為に群れるのだろう。
誰が言ったか解らないようにするため。
数が居るから強いと信じているため。
自分は安全な場所から話す。
誰の言葉か、わからない事を話す。
メッセージの送り先だけでなく
発信元も個人名がないのだ。
卑怯者と罵ろうにも、受け取る個人は居ない。
受け取り手も、話し手も不明な世界
しかし批判だけは確実に存在している。
生きるというのは戦うことである。
そこに山があれば登るし
困難は避けるものではない。
困難を避ける
もしくは先送りする
その人を見れば、生きていないだろう。
少なくとも活きては。
金沢に引っ越して最初の年が終わる。
金沢は卑怯者だらけだ。
自分をさらして
自分の言葉で語る人がほとんど居ない。
別に金沢人が悪い訳ではなく
日本中どこでもそうなのだろうけれど
絶対数が少ないので、卑怯で無い人と出会う機会が異常に少ない。
ひとつの原因は
アーティストが足りないのだろう。
よく解ったのは、金沢にアートは無い。
あるのは工芸とデザイン。
すなわち、アーティストは不在で
工芸家とデザイナーが居るだけである。
工芸家やデザイナーのメッセージは
アーティストに比べれば薄っぺらだ。
結局は金沢で私の心が動かされたのは
個人的な出来事と、書物のみだった
この濃厚なる退屈さと
卑怯な人の集まりを
いかに楽しむか。
それでも私が金沢でやっていけるのは
卑怯ではない友人達のお陰である
いつも本当にありがとう。
皆様が居なければ、私は発狂しているだろう。
来年もお付き合い願いたい。
それでは
卑怯な人も卑怯で無い人も
皆様、良いお年をお迎えください。
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