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2008年11月17日 (月)

エコとエコの類似

昨日の続きのようになってしまうが、今朝、アマゾンから書籍の宣伝メールが届いているのに気が付く。
「人はなぜ環境問題に騙されるのか」というような本だった。
最近、この手のアンチエコのような情報を良く見かける。1年前とは大違いである。
おそらく書籍化に半年から1年はかかるのだと考えると、当ブログの始まったころと同じころの企画なのだろう。
エコ(環境)とエコ(経済)は結局、人が作ったシステムであり、流行であるから同じように「冷静と情熱」「好景気と不景気」の波がある。
ブームという奴は全部そうだ。
結局、価値観が統一されている証拠である。
私は人間欲求とかマーケティング、構造に関して考えるときに、究極には3つのパートがほとんどであると考えている。それは女性誌などの占いを見れば一目瞭然。ある種の普遍性さえ感じている。
それは健康運、金運、恋愛運の3つだ。これを少しだけ展開すれば
健康=文字通り健康、美容、病気、衣食住といった「自分自身の問題」
金運=仕事、家庭、物欲(車やファッションなど)、社会的ステータスなど「社会における自分の問題」
恋愛=セックス、家庭、孤独、精神の健康、美容、自己顕示欲など「私人である自分の問題」
まぁ多少の重複や、該当しないものもあるであろうが無理やりに突っ込もうと思えばなんでも3つのうちのどれかに入る。その無理やりとは
健康=肉体としてどうしようも無いこと
金運=他人から見た人としての私(より公的)
恋愛=他人から見た男・女としての私(より私的)
である。
この手のものは普遍で干渉しあって盛り上がったり、冷めたりと波があるだけである。波は流れに対して必ず起こってしまうものだと思えば不思議は無い。
だから盛り上がるほど、その反動はあるだろうと予測している。
今のアンチエコの盛り上がりは、エコの盛り上がりへの反動である。株価で言うところの反発であり、ダイエットで言うところのリバウンドである。
メディアはすぐにオーバーに触れて、オーバーな、すなわち過ぎたるは及ばざるが如しという言葉のとおり、嘘をつく。それで人は飽きて去って行き、ファン・より深く考えるというか、そこに例えばエコで言うところのロハス層を作りきれずに終わる。作れればもっと儲かるのにと「馬鹿だなぁと眺めている」。メディアが考えるほど人は飽きっぽくも無い。刺激ばかりを追い求める層は、どうせ何事もなしえることは無い。だから社会的に尊敬されたり、憧れの存在にはならない。だからオピニオンリーダーにもならないで、なびくだけである。そうでない層をきっちり抑えれば後から付いてくる。
そんな苛立ちにも似たものを感じているのは何故かと言うとアンチエコの盛り上がりは、そのまま大きな枠組みでエコブームの一部だからだ。これをしてエコとアンチエコの両方の意見が出ている。より正しい見方だとか、論争を格闘技を見るように楽しめとか、そういう事であれば、結局エコブームの内部でなんらかの盛り上がりを作ろうとしているのだろう。オピニオンリーダーになるような人たちにお伺いしたい。
今更アンチエコ系の本を読みたいですか?
そろそろ落ち着いてエコとアンチエコの間。すなわち「確かな事」「確からしい事」「信憑性の低い事」「でたらめ」を整理して「やらなくてはいけない事」「やるといい事」「やらなくてもいい事」「やらない方がいい事」を考えて欲しい。
これはエコだけではなく、FXブームだとか、現代アートバブルだとか、そういった事に関しても同じである。
熱狂というのは、麻薬みたいなものだから。

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