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2008年10月

2008年10月31日 (金)

10月の終焉

なんだか仕事が全然終わっていない。
年末年始は特別なので、日程が違う。ようは締め切りが早い。ぐあぁ
11月も前半は出張が続くので、ネタは集まる。
そのネタをさばく時間が・・・仕事は速いほうなので、やってないってことですね。
一人で出来る事は、さっさと進むが、んーーーーーー
なんていうか「んーーーーー」
11月もあっという間に終わるだろうな。

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2008年10月29日 (水)

金屋町楽市

富山県高岡市で開かれていた「金屋町楽市」を観てくる。
何が見たかったかというと金物の街、金屋町の街並みと、建築家・隈研吾さんのデザインしたアルミ製の展示台がどのようなものか知りたかったのだ。
どちらも中々良かった。
アートをうたう街中イベントの延長にあり、工芸がかなり入っているのだけれども、産業と言う認識が強かったからではないだろうか。
次回があるのか解らないが楽しみだ

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2008年10月28日 (火)

落下の王国

落下の王国を観ました。
映像が美しく、映像作品と言う感じが強いと感じた。
ストーリー自身は、まぁ普通。

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2008年10月27日 (月)

右上にアナログ

久しぶりに環境について。
テレビの右上に「アナログ」の表示が出ている。地上デジタルに切り替わるとこのテレビは見れませんよという事を伝えているらしい。
私はテレビの見られるPCディスプレイを使っているので、映らなくなったら普通のPCのディスプレイとなるだけである。そしてテレビの無い暮らしにする予定だ。
しかし他の多くの方はどうされるつもりだろうか?
「テレビをやめます」というのは極少数派であろう。大多数は地上デジタルへ移行するはずだ。
そのときアナログテレビはどうなるのだろう?全てがきちんとリサイクルされるとはとても思えない。
チューナーを付ける人も、そんなに多くないんじゃないだろうか・・・
そして既にデジタル放送が始まっているが、デジタル放送が画期的に何かをもたらしている感覚はない(多少良いのはワンセグくらいか)。
これはテレビ離れを加速する事件になるかもしれない。
アナログテレビをきちんと供養(適切な処分)しなければ、きっとテレビ業界はアナログテレビ数千万台の呪いで苦しむ事になる。

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2008年10月23日 (木)

WEBマネージメント

「ホームページは儲かる」なんて妄信して猛進していた時代は、随分古くなった。
「ブログ時代の口コミマーケティング」やら「ロングテール戦略」なんて言葉もすっかりと定着し「WEB3.0は?」なんて事が語られている。
実際に今日現在、有効なWEBのマーケティングはWEB2.0やブログの口コミ(ブログ)であろう。
それらは何によって形成されるのか。それは「内容」「コンテンツ」である。これを面白いものにすれば口コミなどは自然と付いてくる。コンテンツ勝負の時代と言うことだ。これはとても良い事だと思う。少し前までFLASHを多用して、カッコイイ、見た目重視系のサイトが多かったのが、ほとんど転んで、成功しているグーグルを初めシンプルな方向へシフトしている。
それからメディアミックスも進んでいる。「ネットとテレビの融合」という騒ぎも記憶から薄らいできたが、確実にそれは進んでいる。というかそれが無ければWEBサイトは無意味。WEBサイト作りますというような企業は信頼できない。WEBは最後で良い。なぜかと言うとWEBというのは信頼性の最も低いメディアだからだ。新聞社のHPに掲載されている情報の信頼度が高いのは紙メディアを持っているからであることを考えればわかりやすいだろう。
良いコンテンツを作り、そして程よいメディアミックスをつくる。これらのバランスが寛容なのである。
実はこれらは金澤アートイベントカレンダーの中西編集長の受け売りである(しかし第三者がこうやって褒めているのでネタにしたのは許してください)。
中西さんはこれらを実践して、順調にアクセス数及びグーグルのページランクを伸ばしてきている。
最初に北陸(主に金沢)のアート情報のポータルサイトを作ろうと考えていたらしい。その考えを現在の形にシフトさせた理由は「ポータルサイトの乱立と淘汰がやって来ると思っていたが、乱立の後は全滅だった」と言うことらしい。結局は検索エンジンの技術革新によって、検索サイトがポータルサイトの地位と必要性の大半を食ってしまったのだ。例えば各美術館やギャラリーの情報はそれぞれの美術館・ギャラリーのサイトに掲載されている。それは当然自前であるから「信頼性」「迅速性」がダントツに高い。どんなに良いシステムもこれには勝てない。
と言う事は検索サイトが、あるキーワードを元に各美術館・ギャラリーのサイトに優先順位をつけて一覧にしてくれるというのは「信頼性」「迅速性」は当然ながら検索キーワードを変えると色々とフィルタリングが自分で作れる「汎用性」の高さもダントツなのだ(カテゴリーやフィルタリングなどから選ぶのと違い無限の選択肢なのだから)。
だとすればポータルサイトの地位は検索サイトに譲るしかない。やはりここでも「コンテンツ勝負」がキーワードになる。そんなコンテンツ勝負の時代にWEB2.0的な「誰でも書き込める」「誰でも編集できる」というシステムが、いかに信頼性が低いか、そして情報が過多になったときに、只でさえ一覧性においては紙メディアなどに大幅に劣るWEBがそんなでは玉石混交で結局は、悪化は良貨を駆逐するという結果となるだろう。
「見た目の良さ」や「情報量の多さ」はグーグルを超えた時にだけ意味を持ち。そのサイトでさえグーグルで検索されるという構造を考えれば無力だというのは自明である。
結局は内容のクオリティに掛かっているのだ。メディアが無限増殖すると言う事はこうやってコンテンツ(文章)を考える我々ライターにこそお金をかけるべきで、(WEB)デザイナーにお金をかけても無駄ですよ。という宣伝がオチでした。

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2008年10月22日 (水)

芸術の秋

流石に芸術の秋だからだろうかアートへの注目が上がっているようですね。
先週からアクセスランキングに変動がありました。
「金沢アートプラットホーム」やら「金沢21世紀美術館」が検索キーワードの上位に入って来て、さらにアクセストップになっています(まぁ、これらはリンクしてるから当然か)。
「アートが注目を浴びるのは良い事だ」と取るべきか「環境よりアートが大事とは・・・」と人々の飽きっぽさを嘆くべきか。
意外とハウツーセックスとかエロ系の話を書いたら、それがアートやら環境を上回るかもしれない。その方が人間って正直だなぁって、いやらしい笑みを浮かべながらアクセスランキングを読めるのでアダルトビデオの人気女優の名前でも列記しておくと面白いかもしれない。

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2008年10月21日 (火)

P.S.I LOVE YOU

「PS.I LOVE YOU」を観ました。
色々な人間関係を絡めて、必ずどこかで「グッ」と来させる所があるでしょう。
夫婦愛
恋愛

親子愛
同性の友情
歪んだ友情
異性の友情
仕事関係
引きこもるという社会との関わり方
あぁ、なんて我々はヤヤコシイ世界に生きているのでしょう。

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2008年10月16日 (木)

素材遊び

昨日の紙に続いて素材が好きである。

今日は「竹」である。少し前の東京デザイナーズウイークで見かけて、今は我が家でも活用されている竹集成材プロジェクトのプロダクト。

竹は一年で成木になり環境にも良いというので注目されている。

そして、もちろん素材感を楽しむ私として重要な、見て触って楽しめるものになっている。

私の住む石川県(金沢市)ではG-WING'Sギャラリーで取り扱っている。

素材・素材と言っているが、それを本当に楽しめるというのは、素材ではなく、加工の技術と、デザイン・見せ方による。なぜならば、全て物は素材で出来ているからだ

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2008年10月15日 (水)

I Love 紙

素材感がとても楽しい。

例えば紙は好きである。和紙も楽しく触り心地も良い。

そんな中「和紙」をプロダクトデザイナー深沢直人がデザインしたという製品を見つけた。

「SIWA」というシーリーズで今後展開されるらしい。

素敵だ。楽しい。久しぶりに嬉しくなるプロダクトと出会えた。

ちなみに私の住む石川県(金沢市)ではG-WING'Sギャラリーで取り扱っていた。

この喜びを伝えたいので触って下さい。

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2008年10月14日 (火)

忙しいもんだ

芸術の秋である。
飽きるほどのアートイベントを駆け回っている。
町家巡遊、金沢アートプラットホーム2008に続いて、横浜トリエンナーレ、赤坂サカスでのアートフラワー2008。その他単独で行われる数々のアート・デザイン・ファッションイベントに走り回っている。
どうやら11月中旬までこんな感じになりそうだ。
それにしても、アートも完全に資本主義的になり、流行を追い掛け回しているように思えてならない。
街中点在アートが満載だ。
富山のヒミングに取手アートプロジェクト、水戸カフェ・・・・世界中で多発している。金沢21世紀美術館で4周年のアートフリーマーケットが行われれば、そのまま同じ時に金津創作の森でもアートフリーマーケット。
それから、さらに資本主義と似ているのはお金があるところの企画の方が、やっぱり基本的に面白いという事。私が回った中ではアートフラワーが一番良かった。
現代アートはものづくりを離れてコンセプト、概念遊びになっている。ものづくりを離れてマネーゲームをしている資本主義と似ているようだが、破綻する所まで似ないで欲しい。
「アートとお金」それは「人間とお金」の問題となって私に降りかかっている。

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2008年10月 6日 (月)

ステップフォード・ワイフ

ステップフォード・ワイフを観ました。
なんというか脚本自身は、ありふれてというか・・・
んじゃ何が観たかったのか?ニコールキッドマンですよ。はい。
内容は普通。二コールをはじめ、出演者のキャラクターに救われてる映画ですね。

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2008年10月 4日 (土)

金沢アートプラットホーム2008

金沢21世紀美術館主催の金沢アートプラットホームを観て回って来ました。
そして、これに時期をあわせて、もしくは良い時期なのでたまたまかもしれませんが、物凄い数のイベントが金沢では開催されています。
全て回るのは不可能。どれを諦めるか悩ましい所。
金沢21世紀美術館開館の年の盛り上がりを思い出します。
金沢人は文化イベントが大好きなんだなぁ

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2008年10月 3日 (金)

人のセックスを笑うな

人のセックスを笑うなを観ました。
なんでこんなタイトルになったのか、なんだか疑問
なんでこんなにウケているのか、なんだか疑問
結局、松山ケンイチと永作博美が見たかっただけなのか?
疑問多き作品である

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2008年10月 1日 (水)

死刑には反対派です

10月になってしまいました。いよいよ月も二桁になると(特に原稿は年末のものにもなるし)年末へまっしぐらという気持ち。
さて昨夜の爆笑問題ニッポンに教養です。今をときめく大スター?姜尚中さんがゲストでした。
仰っていることはよく解るし、大田くんとも上手く噛みあってたし。良かった。
秋葉原の無差別殺人なんかを中心に話は進むのだけれども、あの事件と死刑の問題が私の頭ではどうしても繋がってくる。
私は基本的に死刑は廃止するべき、もしくは実質廃止するべきだと考えている。
ああいった殺人犯は自分だけ死ねよとか、悪い事した奴は死刑にしてしまえ。という考えは非常に浅はかだと思っている。彼らは社会的に抹殺される、社会的自殺をしているじゃないか。このことは姜さんも言っていた。
現実と繋がる事ができない苦しさ。そのときに「一人で勝手に死ね」というセリフ、セリフ自身というよりも、そういうセリフを言わせる発想自身が犯人を孤独に追いやった原因ではないか。
加害者もまた被害者だったんだ。なんて言う言い方は嫌いだが、被害者と加害者は簡単に反転してしまう。
解りやすい例を言えば、被害者が復讐者になると言えば解るだろうか。
死刑制度は罰を与えるとか復讐のためのものではない。それがないと被害者が救済されないなんていうならば、それこそ被害者が死んでいただきたい。
被害者は、例えば大切な人を奪われた人は、救われる事は無い。犯人の問題ではない。
死刑制度は犯罪の抑止の為にあるはずだ。それが社会と繋がっていない。どうせ自分の力では何もかえられはしない。そんな社会的に死んでいる訳でもないが、生きているという実感もない人が、それが進んで、社会から虐げられていると感じ始めれば社会的に殺された状況を選ぶか社会的に奴隷的に虐げられる状況を選ぶか、それはもうどちらでも良いと考えても不思議ではない。というか、惨めに生きていくならば、潔く死のうという考えの方が日本人的だとさえ思う。潔いと言うのは良い言葉だと思わない。
社会的に死んだ状況は、肉体的に死ぬより辛いのではないかと思う。それでも社会的な死を選ぶということは、自分の死など大して怖くないだろう。その人が無差別殺人など起こして、最も社会的に力があるとされるメディアに取り上げられ、社会に波紋を投げかけ、さらに上手く行けば国家によって死を与えられるというのは、社会的に虐げられている人にとっては、下手をすれば喜びとなるだろう。
すなわち死刑制度が本来発揮されなくてはいけない機能「犯罪抑止」に繋がらず、国家による殺人でしかありえない状況になってきていると言う事だ。「死」以上の刑が他にあるかと問われれば私は無いと思う。
それは私が正常の範疇の中の人間であり、社会的に虐げられていないから言えることで、それは彼岸においてはどうなのか。
番組の途中にも出てきたが、ニーチェの「怪物を退治するものは、自らも怪物にならぬよう気をつけなくてはいけない」という言葉。「一人で勝手に死ねば良い」は怪物と対峙したことのない最も正常で、優しく、正しく、安全な場所から、浅はかに考えて言葉を放つ人。それと向き合ったとき、それぞれの人はどうなるのか。
もしも本当に悪魔が居た場合、彼らの言葉どんなものだろうかと創造する事がある。「善い」と言う言葉自身を忌み嫌い私たちの「善い」という意味合いで「悪い」という言葉を使うのか、それとも彼らにとっての「善い」が、我々にとっての「善い」と逆転した使い方をするのか。
こんな単純な事でさえ、わからないとなると怪物を抑えるのは、やはり難しい。

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